野菜を作っている農家仲間からいただいた、バターナッツかぼちゃ
nullカボチャは夏の作物だと思うけれど、私の勝手なイメージでは秋が美味しい。収穫したてよりも、貯蔵した方が甘みがグッと増すから余計に。
野菜を作っている農家仲間から、バターナッツかぼちゃをいただいた。カナダで暮らしていた頃はこういう西洋風かぼちゃをできるだけ避けて、昔からある「KABOCHA Pumpkin」を探して買っていたけれど、日本で暮らす今は逆に、珍しいかぼちゃに惹かれる。
バターナッツかぼちゃも今は、東京ではマルシェで入手が簡単になっているみたいだけれど、田舎ではまだまだ珍しい。
ねっとりした甘みが美味しい、かぼちゃグラタン
せっかくのこの可愛い形をいかしたくて、ちょっと面倒な(わたし比)グラタンを作った。
半分に切ってラップに包んでレンチン。スプーンで種をのぞいて柔らかくなった中身をくりぬく。バターを溶かした鍋に、スライスした玉ねぎとベーコンを入れて炒めて、くりぬいたかぼちゃの実も加えたら米粉(または小麦粉)を入れてなじませて、塩コショウで味を調える。
程よい柔らかさになるまで牛乳を加えたら、くりぬいた皮に入れてチーズをのせてオーブンへ。焼き色がついたらできあがり。ねっとりしたバターナッツかぼちゃの甘みが、娘にも大好評!
溶かしバターを塗って焼いた、ローストかぼちゃ
もう一品も形をいかしたお料理。半分に切って種を取って皮をピーラーで剥いて、5mm間隔くらいでスライスしたバターナッツかぼちゃに、溶かしバターを塗って塩こしょうして、ゆっくりオーブンでローストするだけ。それなのに、甘さが引き立って、お肉(ラム肉のグリル)との相性ばっちりに!
とあるイベントで娘が作った飾り巻き寿司と、お土産のカヌレも一皿に並べたら、多様性のある(?)一皿の完成。
農家仲間から野菜や果物のおすそ分けをいただくと突然、お料理スイッチが入る……
このカボチャを作ったのは長年の付き合いのある農家仲間S君。家族の為にお料理している私だけど、でも何となく、彼の為にもちゃんとしっかり美味しくいただきたいという気持ちが生まれる。
普段はかなりの手抜き料理ばかりの私だけれど、作り手さんから野菜や果物のおすそ分けをいただくと突然、お料理スイッチが入るのはそういう気持ちからだ。
このカボチャはS君が作ったんだよと娘に伝えた。娘もきっとS君の顔を思い出しながら食べている、はず。家族の食卓に、S君も加わったかのようで嬉しい気持ちになった。
秋は、かぼちゃはもちろん、栗も銀杏も美味しいし、サンマは不漁で価格高騰とはいえ絶対にこの時期をはずさず食べたいし、果物だって無花果も葡萄も梨もあるけど、新米もお忘れなくー!
令和元年の稲刈りがスタート
nullいよいよ、令和元年の稲刈りがスタート。
9月に入ってから雨が続いてぬかるむ田んぼも多いけれど、こんな美しい景色のもとで、収穫作業ができる事を幸せに、そして誇りに思う。消費量が減ったとはいえ、それでも今でも日本人の主食であるお米。そのお米を作っている、そしてお米だけを作っている米農家として、この季節は感慨深い。
毎年のように異常気象という言葉を耳にするけれど、今年もちゃんと実りの秋を迎える事ができた。
雪が少ない冬は雨の多い梅雨になるし、日照不足が心配された時期が嘘のように晴れ渡る夏がやってきた。
大丈夫、
人間の心配をよそに大きなうねりで地球は回っている。毎年そう実感、体感する。
残暑と折り合いをつけながら、台風の進路におびえつつ、でも何もできないし抗えない。ただ、お天道様の様子を見ながら収穫するのみ。
この先9月末まで収穫作業は続き、同時並行で乾燥調製をしていく。刈り取った籾(もみ)を乾燥させて籾殻(もみがら)を取り除いて玄米の状態にし、各種選別機を通して製品となるお米にするのが、乾燥調製。
さらには、農産物検査(いわゆる等級検査)を受検して、10月に入ってから生活者のもとへお米をお届けできるようになる。この様子はまた、次回お伝えしたいと思う。
無理やり気味に撮った家族写真は、かけがえのないもので…
null家族写真を撮る機会は年々減ってきている。生まれてから数年はよく撮っていた気がするけれど、それも今ではよく思い出せない。とにかく娘が嫌がる、めんどくさがる。私たちも実はちょっとめんどくさかったりする。それでも今年は、黄金色の田んぼに晴天と週末という奇跡的な幸運が重なったので、無理やり気味に家族写真を撮った。
この1枚の写真は、濱田ファームのHPやブログ等々いろいろ使わせてもらおうという魂胆がもちろんあるし、年賀状にも丁度いいなとも思ったけれど、でもそれ以上に、私たち家族3人のかけがえのないものになった。
娘はお米が大好きだけど、でも、田んぼにもお米作りにも農家という仕事にも、全く興味がなさそうだ。私たちも特に興味を持たせようともしていないし、ましてや手伝ってもらう事もない。彼女は私たちの娘だけれど、同時に一人の人間だ。彼女の人生は彼女のもの、彼女自身が選び取って進んでいって欲しいから、私たちの思いを押し付ける事だけはしたくない。
これは、ついつい親の思うように動いて欲しいと思ってしまう私への戒めとして、ここに書き残す事にします。