ていねいの反対語は「現実を受け入れない」こと
null松浦弥太郎さんが、著書の中でよく書かれているのが“ていねい”というキーワード。それを読んで、ていねいな暮らしをしたい、と憧れつつも、現実には慌ただしく日々の生活に追われてしまうこともしばしばです。
では、そもそも松浦さんの描く“ていねい”とは、どういうことなのでしょう。“こまめに掃除する”=ていねい、というわけではないような……?
松浦さんのお考えをお聞きしてみると、意外な答えが返ってきました。
「僕にとっての“ていねい”が指す意味は、年を重ねるなかで変わってきていて、若い頃と、50代の今とでは違います。
僕が現時点で思う“ていねい”とは、感謝をすること。たとえばお茶をいただくとき。感謝の気持ちがあるのとないのとでは、飲み方や行動が変わってくると思いませんか? コップを静かに置く、とかね」(「」内松浦さん。以下同)
では、その感謝の気持ちはどこから生まれてくるのでしょうか?
「現実を受け入れることができれば、感謝の気持ちは自然と芽生えるもの。それが自分にとって嫌なことでも、傷つくことでも、現実に起きていることを一度受け入れる。
だから“ていねい”の反対語は、“現実を受け入れない”になりますね。自分が置かれた状況や、ものごとを見ようとしないこと。現実と向き合わなければ、毎日の暮らしに感謝はできません」
“こうありたい”という姿ばかりを見て、自分や他人を否定してしまうのも“現実を受け入れていない”ということでしょうか。
「おっしゃるとおりです。“ていねい”という言葉を僕が使い始めたのは、おそらく20代の終わりごろから。その頃の僕は、周りの人がどう思うかよりも、とにかく『何かがほしい自分』『何者かになりたい自分』を最優先に考えていました。そして、思い通りに手に入らないことに、イライラしていた。
そういう自己中心的な自分に対して、このままじゃいけない、自分がこれから生きるのに必要な心持ちとはどんなものだろう、と考えていて、自然と“ていねい”という言葉が湧きあがったのです。傲慢な自分を救ってくれるかもしれない考えとして。
だから、よく『本に書いているくらいだから、松浦さんはすごく“ていねい”な人なんですね』と言われるんですけど、もとからていねいに生きられていたら、わざわざそんな言葉を使わないんですよ。僕にとって“ていねい”とは、つい自分本位に生きてしまう自分にとっての、お守りのような言葉なんです」
「今日と同じ明日が来るのか」を不安に思うより、「変化に対応できる自分」を大切に
nullいま子育てをしているママやパパの中には、我が子はこれからどんな社会を生きていくのだろうと、不安を感じている人も少なくないはずです。何ともいえない閉塞感が日本社会を覆い尽くしているように思えたり、下り坂を辿っていくような感覚になったりすることもありますが、松浦さんはこの時代をどのように受け止めているのでしょうか?
「たしかに世界を見れば戦争もしているし、生活困窮者も多くいる。気候変動の問題もあって、ひょっとしたらいま1歳の子どもが20歳になる頃には、夏は一歩も外に出られなくなるかもしれない……なんて、不安に思い出したら止まらないですよね」
「でも、人間にはそのときにおかれている環境や境遇にあわせて、変化し、順応する力がある。屋外に出られなくなったとしても、『それなら今できることの中で、どう夏を楽しく過ごそう』と考え始めるのでしょう。
それでVRの技術が進んで、家にいても思いきり遊べるようになるかもしれないですしね。悪いことが起きたら、それを補うための良いアイデアが生まれるなど、自然の摂理としてバランスを取る力が働くものではないでしょうか」
ちょっと楽観的すぎるかな、と笑いながら「人間はそうやって、新しい幸せを見つけていくものだと思う」と語る松浦さん。
「だからこそ、自分の頭で考える習慣が大事なんです。思考停止した大人の世代が『これからどうなっちゃうんだろう』と未来を嘆いてもしょうがない。僕らは誰かから影響を受けたり、環境に順応したりしながら毎日を生きている。今日と同じ明日がきますように、と考えるよりも、そのとき、そのときに応じて変えていくほうがいい。
『じゃあこうしよう』『あれを試してみよう』と柔軟に考えて、試していけることのほうが大事だと僕は思います」
取材・文/塚田智恵美
撮影/小林美菜子
松浦 弥太郎(まつうら やたろう)
1965年東京生まれ。エッセイスト、クリエイティブディレクター。(株)おいしい健康・共同CEO。「くらしのきほん」主宰。COW BOOKS 代表。2005年より「暮しの手帖」編集長を務めたのち、2015年にウェブメディア「くらしのきほん」を立ち上げる。著書に『着るもののきほん 100』『伝わるちから』『いちからはじめる』他多数。