お米はやっぱり主食だったのだ
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田植えが終わると、この辺りの田んぼは一面が光り輝くように緑になる。
北陸地方も梅雨に入って、この先しばらくは高温多湿な日々だろう。稲は(そして雑草も……!)一雨ごとにグングン成長していく。
まさに「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国」、古事記や日本書紀で「葦がしげり、稲穂がみずみずしく育つ豊かな国」と称される光景だ。心から、美しいなぁと思う。
この連載の主軸は、我が家の食卓周りの日常だ。けれど今回は、去年からずっと世間を賑わせている米騒動について書こうと思う。
当事者であるはずなのにどこか置いてけぼり気分の米農家の私たちが、思っている事・感じている事を率直に書いてみたい。でもあまりにも赤裸々に描くと、あちら方面にもこちら方面にも波が立ちそうなので、ほどほどに……。

今回の米騒動、これだけお米が注目される事はこれまでなかったので、米農家にとっては嬉しいという率直な気持ちがある。
お米はずっと地味な存在だった。あって当たり前、安くて当たり前だった。消費量は年々減り続け、家計調査では米の購入金額は麺・パンの合計の半分以下というデータもある。
20年ほど前に新規就農しようと関係各所を回った旦那さんは、米だけはやめた方がいいと各所でアドバイスされたほどだ。政府は相変わらずお米から他の作物への転嫁を促進しているし、減反政策は廃止されたが実質的には「生産量の目安」が示され生産量はコントロールされている。
マルシェやファーマーズマーケットでは華やかな果物やお野菜の陰で見向きもされず、悔しい気持ちを抱いた事もあった。
それが今や、毎日ニュースになるくらい注目されている。
価格の動向や備蓄米の事が多いけれど、中には米作りの事やお米の特殊な流通経路、さらには精米工程について報じられる事もある。どうしてお米が足りなくなったのか、適正なお米の価格はいくらなのか。市井の人から専門家までいろいろな意見が出てくる。
お米はやっぱり日本人の主食だったのだ。私たちが作っている作物は、皆さんにとって無くてはならない大切なものだったのだ。
この地で踏ん張って頑張って続けてきたかいがある。米農家として、率直に嬉しかった。

と同時に、これまで努力してきた「直売(お米を直接お客様に売ること)」に対するモチベーションが、大きく下がったのも正直な気持ちだ。
直売を始めた当初、今ではとても信じられないのだが、ご近所の家を一軒一軒ピンポン営業をしてサンプル米をプレゼントして回った思い出がある。雪の降る寒い冬、冷たくあしらわれて心折れそうになった事は忘れられない。
その後もピンポン営業は数年続けたし、自分たちの事を知ってもらう為にブログの更新やSNSでの情報発信、マスコミ取材対応、マルシェ出店などなど、ありとあらゆる事をした。
どんな場所でどういう農家がどんな思いでどういう風にお米を作っているのか。それを伝える事で私たちに興味を持ってもらい、お米が売れるのではないかと考えたからだ。マーケティングやプランニングも学んだし、農業経営や簿記についての講習も受けた。お米を直売するためにできる事は、できるだけやった。
1件また1件と注文が入るようになり、少しずつ直売量が増えていった。地道な地味な努力を重ねて、やっと直売が安定するようになったのだ。ここまで20年近くかかった。



「米騒動」で味わった困惑
nullその矢先での米騒動。にわかに問い合わせが急増、皆さんお米を確保するのに必死。これまでずっと私たちのお米を買い支えていただいたお客様の分を確保するために、これまで続けてきた情報発信をやめた。
問い合わせが入らないよう、メールアドレスや電話番号を削除した。これまで続けてきた事とは真逆の行動をとる自分の気持ちをなだめて、どうにかやり過ごした。私の思いとはかけ離れてきてしまったのが悲しくてむなしくて、
これまでの努力はなんだったのだろうとやりきれない気持ちになった。

お米に注目が集まる嬉しさ、そして困惑。
今回の米騒動で味わったのは、相反する2つの気持ちだった。立場が違うと考え方が違う。
農家、政治家、流通業者、小売業者、配送業者、管理業者、他にももっともっといろんな立場の方が、今回の米騒動について思う事や考える事があるだろう。
私たちは米農家だから、できるだけ生産コストを回収できる価格、そしてこの先も生産し続けられる価格で販売したいという思いがある。農家が考える、適正価格というものだ。
やっとその価格になってきた、これなら卸業者さんにお願いしてもやっていけるかもしれない。20年前は関係各所に反対された米農家だけど、目指す若者を温かく受け入れる環境になるかもしれない。安心して子どもにも継がせられると思う農家さんもいたかもしれない。
それなのに、備蓄米の放出。
そもそも米騒動の原因がわからないので、この政策がはたして正解なのか意味があるのか。安価なお米が手元に届き、助かる人も多いとは思う。
でもそれは、きっと一時的だ。
一時的で安易な方法はわかりやすいし刺激的だけれど、どうしても政治的な意図を感じてしまう。既に多くの地域で田植えが終わっている今、この秋の収穫量が飛躍的に多くなるわけでもないだろう。という事は、新米の価格は大きく下がる事はないのではないか。

お米の価格ばかりが問題視されるけれど、米農家として皆さんにお伝えしたいのは。
スーパーで販売されているお米が、食卓にのぼるご飯が、どのようにして辿りついたのか、そこに思いを馳せてほしいという事だ。
日本全国で多くの農家が、いろんな思いでお米を作っている。一粒一粒を大切に育てて、お天道様の下で収穫する。
この連載でも何度か紹介しているが、収穫したお米を食べられる状態にする乾燥調製という作業もある。その上での出荷、さらに精米工程を経て様々なルートで販売されていく。多くの人の手を経て皆さんのお手元に届くのだ。
お米は、あって当たり前の存在ではない。
都会の真ん中で暮らしていたとしても、少し郊外に出れば田園風景が広がる瑞穂の国。田んぼの景色を眺めながら、もはや当たり前の存在ではなくなりつつあるお米について、少しでも考える時間を持っていただけたら。


「古古古米」は美味しいの?
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最後に。
古古古米に古古古古米まで放出された備蓄米は、はたして美味しいのか? ご質問をいただく事もありますが、食べた事がないので正直わかりません(笑)。
ただ、備蓄米が保管されている保冷倉庫は、温度管理はもちろん湿度管理も徹底されています。多少の味や香りの違いはあるかもしれませんが、食味に大きな違いはないのではと想像します。
食べてみて気になる方は、水の量を加減したり浸水時間を変えたり、お酒を加えたり、昆布をいれたり、
炊き込みご飯にしたり、濃い味わいのおかずと食べたり、カレーライスで食べたりしてみてください。
私たちはずっとお米を食べてきた、瑞穂の国の人間です。
お米の味にうるさい面もあるかもしれませんが、それ以上に、お米を美味しく食べる知恵も技も持ち合わせているはずです。この先も、無くてはならない私たちの主食であるお米を愛してほしいです。
お米農家の私たちは、生活者の皆さんにそう願っているのだと気づけた米騒動のようです。

愛知県生まれ、千葉(スイカの名産地・富里)育ち。大学卒業後カナダへ。バンクーバー、カムループス、バンフと移り住み、10年間現地の旅行会社で働く。カナダの永住権を取得したにも係わらず、見ず知らずの富山県黒部市で農家に転身。米作りをしながら、旦那とココ(娘)と3人で日々の暮らしを楽しんでいます。黒部の専業米農家『濱田ファーム』はこちら。