大きな窓で、とにかく明るい家に
null東京に出てきて20年、子どもと夫婦3人では6年間暮らした東京を離れ、夫・“肉父さん”の地元、埼玉に家を建てました。
義両親が住む実家を取り壊し、約2年かけてこだわりにこだわって作った家は、「我が家3人が暮らす2階建て」と「義両親の平屋」がつながったI字型(真っ直ぐな長方形)の一軒家。
どうせ作るなら、都内ではできない思い切ったおうちに!と夫婦で話し、とにかく明るい部屋、そして型にハマらず自分たちらしくしようと決めました。
子どもの頃は夫婦ともに一軒家で育ったので、いつかは一軒家に住むよね? でも、東京に建てるのは現実的に難しいんじゃないかな、なんて考えていました。そんなとき、コロナ禍、息子の小学校入学……他にもいろんなことが重なり、決断。
「自然いっぱいな土地で太陽をたくさん感じて、カントリー精神を育んだら、それがきっと武器になる。東京や世界に出ていくのはその後でいい!」なんて、子育て論を肉父さんは話していて(笑)。
私も夏太郎(息子)には、自然に恵まれた環境でたくさん遊び、いろいろな経験をしてのびのび育ってほしいと思っていたので、それも決断した理由のひとつです。肉父さんの勤めている会社は東京ですし、私も都内での仕事が多いので、大変なことはもちろんあります。
でも、アラフォーになり、20代や30代前半では気付けなかった考え方や新しい価値観が生まれ、今を頑張りながら、自然に囲まれたこの場所で、どう暮らしていこうかと探る毎日も楽しいんです。
家を作るときのいちばんの希望は「とにかく明るいおうち」。だからリビングダイニング、洋室、寝室、書斎、子ども部屋、義両親の部屋など、主要な部屋はすべて南向きにしました。
肉父さんは「せっかく郊外に住むなら、リビングは25畳以上で窓は大きく、絶対吹き抜けがいい」、そして義両親は「住みやすい平屋」をリクエスト。
その中で迷ったのは、どうやって義両親と二世帯で暮らす家を作るか。二軒建てようとしたら、費用も莫大になる。だったら玄関は別で、廊下を隔てたI字型にしよう!と。“同居のような同居じゃないような”程よい距離感を保てる、居心地のいい家ができました。
義両親との暮らしは、つねに誰かがいる安心感があるし、夫婦で夜遅くなる日には夏太郎のお迎えに行ってくれたりと、本当に感謝しています。
この家ができてから、親戚や夏太郎のいとこたちがよく遊びに来てくれるようになり、義両親が とても喜んでくれたことは私たちも嬉しかったです。
「家相」と「導線」にこだわった渾身の間取り
null郊外にある広い土地だからこそ、なんでも自由にできる。けれど、ゼロからどう作ろうかとかなり悩み、時間もかかりました。
そこで最初にぶち当たった壁は、間取り。部屋の行き来がスムーズになるような「導線」と、方位や間取りから吉凶を見る「家相」を確認する作業がとにかく大変で。それを元に、「こんなおうちに住みたい!」と間取り図を描かせていただき(素人なのにすみません)、自分たちが納得するまで工務店さんと一緒に設計していきました。
「導線」でこだわったのは、家の中に行き止まりを作らないこと、そして通路は気持ちよく一直線。これで毎日の家事がだいぶラクになりました。
次に、鑑定師さんに見てもらった「家相」ですが、現在では風水の要素も取り入れて考えられているそうです。最初はお庭を囲むようなL字型の家も考えたのですが、風水上よくないとのこと。結果、I字型の二世帯にしたら窓からお互いの家が見えないので、気を使わずに暮らせる家になりました。
「風水なんて……」と以前は信じなかったけれど、“昔の人の知恵”ってことなんですよね。「気をよくする風水」=「気分が上がることは生活に大事」なんだと暮らしてみてわかりました。納得できる間取りを完成させたかったので、家相鑑定はなんと10回も!
でも、鑑定はお金もかかるし通うのも大変だったので、肉父さんが根性で勉強し、最終的には自分で図面を書き直せるようになってました(笑)。「やべえ、この線、水回りにかかってる!」など1mm単位で何度も修正した、奇跡の間取りなんです。
どうせお金をかけるなら100%に!と、当初は思っていましたが、暮らしてみて感じたことは、50%でいいんじゃないかなって。「50でも合格点。100に近づけるために、暮らしながら少しずつ豊かなものにすればいいよ」と、肉父さんが(たまには)いいことを言ってくれました。
観葉植物を加えたり、家具を配置するだけでどんどん変わる。イメージとは違ったドアの色は塗り替えればいいし、棚の出っ張りは切っちゃえばいい。「ま、いっか!」って笑いながら、家も自分たちも育てていくことを楽しんでいきたいと思っています。