長年の夢だった「エベレスト街道」へ!
nullいつかは歩いてみたいと思っていた6,000m級の山々が連なるヒマラヤ。世界最高峰8,848mのエベレストも見てみたい!と、この年末年始はネパールへ。
山歩きが大嫌いな(以前一度だけ西穂高エリアを歩いて懲りた)娘には、事前に彼女の意思を確認しておいた。
私たち夫婦は行くと決めているけれど、一緒に行くのか、それとも1人で留守番するのか。行けば、道中は大変だろうけれどエベレストを見る事ができる。留守番していれば、自分の好きなように(寝坊し放題・YouTube見放題)過ごせる。
さぁ、あなたはどちらを選ぶ?
と。
果たして娘は、一緒にネパールへ行く事を選択した。
決して無理強いはしていない、彼女が自ら決めたのだ。ならば最後まで泣き言を言わず、自分の足で歩くしかない。
標高4,000m以上のトレイルを歩く日もあるから、空気は薄い、息苦しい。
季節は冬だ、極寒も予想される。
それでも歩き続ければ、こんな荘厳な山々(遠くにはエベレストが見え隠れしている)を望める。
まだその良さは、彼女には本当の意味ではわからないだろう。それでも私はいいと思っている。
ちょっともったいないけれど、でも、10代の若いうちにエベレスト街道を歩いたという体験は、彼女の人生に大きな意味をもたらす事もあるだろう。ないかもしれないけれど(笑)。せっかく連れて行った親としては、あって欲しいというのが正直なところ。
だけれど、でもまぁ、どちらでもいいか。
私が、誰よりもここを歩きたいと思っていた私が、たっぷり満喫したのだから。それにおまけとして、家族で歩く事ができたというだけでもう、私には十分だ。
ヒマラヤトレッキングは単に綺麗な山を見て歩くだけではなかった。
その土地に暮らす人々の生活や風習などの営みも、垣間見る事ができる。学校に通う子供たち、洗濯したり畑を耕す人々。
さらには文化や宗教までも感じる事ができるという点で、単なる山歩きとは全く違う趣だった。
違うと言えば、山小屋も日本とは全く違っていた。
集落と集落を結ぶエベレスト街道沿いには、たくさんの山小屋が点在する。日本の山小屋のように予約をしなくても、ほとんどの場合は問題ない。
基本は個室、ギュッと狭い場所に詰め込まれる事もない。
ただ部屋の中に、エアコンや暖房施設はない。ひたすら寒い。用意されているのは、薄っぺらい布団だけ。持参した冬用のスリーピングバッグと、湯たんぽ代わりにお湯を入れた水筒は必須。
唯一暖かいのは、食堂だけ。夕食の時間帯のみ、暖炉に火がともる。そこで宿題に励む娘。
何もここまで来て宿題をしなくても、と思いつつ、娘にとっては大事な事らしい。まさか宿題をするなとも言えない私。
テレビもないWi-Fiもないとなると、こうして宿題をするしかないか。大人は、本を読んだり食堂に集う人たちと話して過ごす。
と、そこへ、イギリス人トレッカーが娘に興味をもっていろいろ話しかけてくれた。このエリアでは、まだまだ子どもの娘のような年齢は、珍しい存在なのだ。
これまでなら、英語があまり得意ではない娘に代わって私が対応していたであろう。が、娘はつたないながらもきちんと、英語でコミュニケーションを取っていた。しかも、嬉しそうに、楽しそうに。
その様子を見て驚くやら、嬉しいやら。
去年1人で海外で生活した経験が、彼女に自信を持たせたのだと思う。
決して流暢な英語ではない。それでも、コミュニケーションを取れるという事を実感したのだろう。
しっかりと相手の目を見て、自分の言葉で自分の考えを、笑顔を交えながら伝えていた。
そんな娘の成長を間近に感じられた、今回のエベレスト街道のトレッキング。
普段、家族でゆっくりと過ごす時間を取る事ができない私たちにとっては、単にヒマラヤの中を歩く旅ではなく、家族3人が顔を合わせてご飯を食べ、たわいもない会話をする、貴重な日々だ。
だからそれは、海外でなくてもいいのかもしれない。でもやっぱり海外だからこその不便さ大変さ、そしてだからこその喜びや嬉しさが伴うと思う。娘にはそれを体験してほしいと思うし、家族みんなで体験すればより思い出深い旅になるだろう。
あと何回こうして、家族で海外旅行に出かけられるだろうか。そろそろ親元を離れるかもしれない時期にきている事を考えると、そんなに多くはないだろう。既に娘からは、次回の旅行先のリクエストをもらっている。たまには私の行きたい場所ではなく、娘の行きたい場所を優先させようかな。
今年もよろしくお願いいたします!
nullさて帰国したら、荷物の片付けと大量の洗濯物に追われてバタバタ。
録画しておいた紅白とNFL(アメリカンフットボール)の試合も見て、今年は6日が仕事始めとなった。
皆さま、今年もこの連載と濱田ファームをどうぞよろしくお願い致します!
愛知県生まれ、千葉(スイカの名産地・富里)育ち。大学卒業後カナダへ。バンクーバー、カムループス、バンフと移り住み、10年間現地の旅行会社で働く。カナダの永住権を取得したにも係わらず、見ず知らずの富山県黒部市で農家に転身。米作りをしながら、旦那とココ(娘)と3人で日々の暮らしを楽しんでいます。黒部の専業米農家『濱田ファーム』はこちら。