“ほんとうの自分”との出会い
30代の頃は、とにかくがむしゃらに仕事をして、例えるなら、ブルドーザーみたいでしたね。帰宅も午前様は当たり前で、睡眠や余暇を削ることは日常的でした。言うなら、“明るいワーカーホリック”でした。
でも当時いた会社(外資系人材派遣会社)は結婚してから入ったところなので、当初から家族の理解もあり、自分のために仕事ができたんです。自分を模索するという目的を徹底的に追及できたと思います。そういう意味では、ミッション経営、セルフリーダーシップ、モチベーションマネジメント、いかに思考を深め、自立的に行動するか等、今やっていることの根幹が、そのときに形成されたのだと思います。
新しい世界に入るや否や、早速、基礎的なことを3つ経験しました。
1つは、“自分が思う自分”と、“他者から伝えられる自分”の溝に気づいたことです。周囲の方が教えてくれる自分の強みは、自分にはそんな認識はなく、かえって苦手だと感じていたことだったんです。
2つ目は、その自分が苦手と思うことを素直にやってみたら、出来て、楽しくて、周囲からも評価され、なにより自分の世界が広がったような気になったことです。自分にとっては大発見でした。
3つ目は、自由が好き、変化が好き、何かを創造するのが好きという自分の傾向や個性をあらためて知ったことです。仕事についての裁量を持てたことで、自由にビジネスを創り、組み立て、実行させてゆく充実感や、社会の役に立つ実感が得られたのです。このことが、自分の仕事観の基礎を作ったのだと思います。
子供どうする? 独立する? 仕事を辞める?
そんな遅咲きの私でしたが、キャリアを積んでいくにつれて、次第に期待に応え続けなければならない責任感と、負けず嫌いな気質が、良くも悪くも育っていきました。今から思うと大したことなくて笑っちゃいますが、当時は“自信過剰な戦士”のようであったかもしれません。
この時期は、自分を見つけるということについては、目標達成でき、成長もできて、とても良かったのですが、ただ結婚していたので「そろそろ子どもが欲しいな」と思ったときに、「そろそろ仕事の仕方を考えなくては」と感じるようになりました。そうするためには、やはり仕事がハード過ぎていたんですね。
そして、独立するにしても一旦仕事を辞めようかな、と考えるようになっていた時に、大変な、命に関わる交通事故に遭うんです。
その事故に関しては、また次回お話をしたいと思いますけれども、これがきっかけで、私は外資系人材派遣会社を退職することになります。そこから仕事への関わり方は随分と変わって行きました。
【筆者】河北隆子(かわきた・たかこ)
日本女子経営大学院代表理事、学長。イノベーションアソシエイツ株式会社代表取締役Co-CEO。1960年東京生まれ。総合オフィスサプライヤー企業、外資系人材派遣企業を経て、コンサルタントとして独立し大手自動車会社の販売チャンネル変革プロジェクトのプログラム開発展開のコアパートナーとして活躍。その後、人と組織の持続的な学習成長イノベーションと定着化を得意とするイノベーションアソシエイツ社を創業。2015年1月、働きながら学ぶ女性限定ビジネススクール日本女子経営大学院を開学、現在に至る。生涯学習開発財団認定コーチ、ジョージワシントン大学大学院コース修了GIAL認定シニアアクションラーニングコーチ、日本メンタルヘルス協会心理カウンセラー基礎認定、文科省学校力向上検討委員。企業、教育、自治体他多様な産業において、人と組織に関するリーダーシップ開発、問題解決支援、女性活躍などに従事。人と社会が循環して起こす幸福で共創的な日常のイノベーション創出のために、自由で多様性のあるビジネスに挑戦している。
2015/4/16 BizLady掲載