世の中には、1つのことにじっくり取り組んで大成する人と、時代の動きに敏感に反応しながら才能を発揮する人とが存在する。
歴史に名を残す音楽家もまさに同様。前者の代表は、自らの思想を貫き通したベートーヴェンや、ドイツ国内から1歩も外へ出ずに名曲を生み続けたJ.S.バッハだろう。一方後者を象徴する作曲家といえば、ヘンデルとロッシーニの名前が頭に浮かぶ。今回はこの2人の“臨機応変”ぶりから生まれた名曲に注目してみたい。
ヘンデル:オラトリオ『メサイア』より『ハレルヤ』
nullドイツにとどまった同年生まれのJ.S.バッハ(1685-1750)とは対照的に、ヨーロッパ各地を旅した後に、最終的に英国に帰化したのがヘンデル(1685-1759)だ。
ドイツ・ハノーファー選帝侯のもとで宮廷楽長を務めていた1712年に、休暇をとって出かけたロンドンで大成功を収め、一度は帰国したものの再び渡英。その後は帰国命令に従わずに英国に定住してしまったというのだから凄い度胸だ。
英国王室の保護のもと、期待されたオペラを手掛けたところが、反対派の妨害によって大失敗。失意と貧困のどん底にあったヘンデルに届いたのが、アイルランドからの新作の依頼だった。
それに応えてわずか21日間で書きあげたと伝えられる作品が、彼の代表作オラトリオ『メサイア』だ。この作品にすべてをかけたヘンデルは俗事を忘れて没頭し、感動のあまり泣きながら書き続けたとも言われている。
アイルランドのダブリンで行われた『メサイア』の初演は大成功。これをきっかけにヘンデルは大作曲家としての地位を確立する。待望のロンドン初演では、臨席したジョージⅡ世が、『ハレルヤ』を聴いて感動のあまり立ち上がり、聴衆もそれにならったことから、“『ハレルヤ』は立ち上がって聴く”という慣習が全世界的に広まったのも今では懐かしい思い出だ(近年は殆ど見られない)。
その『メサイア』は、イエス・キリストの生涯を描いた大作だ。音楽を聞きながら、題材となった『聖書』について、親子で語り合う時間も悪くない。さらには『ハレルヤ』コーラスに後押しされる朝は、素敵な1日のプロローグとなるに違いない。
アルバムについては、ゲオルグ・ショルティー指揮、シカゴ交響楽団&合唱団盤をお薦めしたい。
ロッシーニ『ウィリアム・テル』序曲
null一方、イタリアを代表するオペラ作曲家ロッシーニ(1792-1868)は、同時代のフランスの作家スタンダール(1783-1842)がその著書『ロッシーニ伝』の中で「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」と絶賛したほどの存在だ。
ヨーロッパ中を席巻したその人気は凄まじく、当時ウィーンで『第九』の初演を予定していたベートーヴェンが、ロッシーニ人気を恐れて初演場所をベルリンに変更することまで考えたというのだから驚きだ。
そのロッシーニは、オペラ作曲家として人気絶頂の1829年、37歳であっさりオペラ界を引退してしまう。後半生は、たっぷり稼いだお金をもとに高級レストラン経営や料理研究をしながら30年以上に及ぶ長い余生を過ごしたのだから優雅極まりない。
しかも料理の世界においても名を残すあたりが天才の天才たる由縁。今もレストランのメニューに名を連ねる『ロッシーニ風』は彼の創作料理なのだ。ステーキにフォアグラを重ねたこのゴージャスな料理は、いかにも美食家ロッシーニらしいご馳走だ。
引退直前に手掛けた最後のオペラ『ウィリアム・テル』の冒頭を飾る「序曲」には、物語の舞台となるスイスの自然が描きだされ、名高い「スイス軍の行進」が奏でられる。思わず走り出したくなるほどやる気を出させるこの曲は、まさに“1日のスタートに最適の1曲”と言えそうだ。
アルバムは、アントニオ・パッパーノ指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団による『ロッシーニ序曲集』がお薦めだ。ロッシーニの代表的オペラ「序曲」をずらりと並べたこのアルバムは、さながら高級レストランのメニューを味わうような楽しさだ。
クラシック音楽の起源は、教会音楽と王侯貴族のサロンにおける食事のためのBGM。それが故に音楽と食事の相性は抜群だ。「今夜の料理にはどんな音楽が似合うと思う?」といった親子の会話をお楽しみいただきたい。
【著者プロフィール】
田中泰(たなか やすし)
音楽ジャーナリスト/プロデューサー。1957年横須賀生まれ。1988年、「ぴあ」入社以来一貫してクラシックジャンルを担当。2008年、「スプートニク」を設立して独立。J-WAVE「モーニングクラシック」ナビゲーター、JAL「機内クラシック・チャンネル」構成、「アプリ版ぴあ」クラシックジャンル統括&連載エッセイなどを通じ、一般の人々へのクラシック音楽の普及に務めている。一般財団法人日本クラシックソムリエ協会代表理事。