卒業シーズンは、新たな世界への旅立ちの時。草木が一斉に芽を吹くこの時期は、子どもたちの成長も眩いばかりだ。新たな世界へ羽ばたくワクワク・ドキドキ感はクラシックの作曲家たちにとっても同様だったのだろう。
今回は、ショパンとドヴォルザークの“旅立ち”に注目しつつ、彼らが遺した名曲に耳を傾けてみたい。「世界は1冊の本だ。旅をしない人々は、本を1頁しか読んでないのと同じだ」という哲学者アウグスティヌスの言葉が心に染みる。
ショパン「ピアノ協奏曲第1番」
null遺された作品のほとんどがピアノのための美しい曲であることから“ピアノの詩人”と呼ばれるショパン(1810-1849)。
わずか8歳で公開演奏を行うなど、その才能が幼い頃から際立っていたことは、祖国ポーランドに残された資料からも読み取れる。そのショパンは生涯に2曲のピアノ協奏曲を遺している。そのどちらも彼がポーランドを離れる直前に書かれた作品であることが意味深い。
20歳のときに書かれた「ピアノ協奏曲第1番」は、音楽家としての新天地を求めてウィーンに旅立つショパンのための壮行会(1830年11月)で初演された名曲だ。当時祖国を離れることは永遠の別れにも等しい意味があったのだろう。この演奏会は「告別演奏会」として知られている。
そしてその言葉通り、ショパンは2度と再び愛する祖国ポーランドの土を踏むことはなかったのだ。1832年のパリ・デビューにおいてもこの曲を演奏しているだけに、思い入れの強い自信作だったに違いない。
録音においては、前回2015年の第17回「ショパン国際ピアノコンクール」(5年に1度ワルシャワで開催)の覇者チョ・ソンジン(1994~)が優勝直後に録音したアルバムをお薦めしたい。
本来ならば2020年の秋に第18回が開催されるはずだった同コンクールは、新型コロナウイルス感染拡大の影響によって1年延期。今秋の開催が予定されている。今年こそはチョ・ソンジンに続く新たなスター誕生に期待したい。
ドヴォルザーク「交響曲第9番『新世界より』」
null一方、チェコ国民楽派を代表する作曲家ドヴォルザーク(1841-1904)も新たな旅立ちと新生活の中から名作を生み出した人だ。
8曲の交響曲や『スラブ舞曲』などの成功によって国際的な名声も高まり、作曲家としての栄華を極めていた50歳のドヴォルザークは、1891年の春、ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長就任要請を受けて新大陸アメリカへと渡ったのだ。
愛する祖国チェコへの望郷の念にかられながらも、新天地での4年間を過ごしたドヴォルザークは、彼の地で弦楽四重奏曲『アメリカ』や「チェロ協奏曲」などの代表作を次々と生み出してゆく。
なかでも交響曲第9番『新世界より』は、アメリカ滞在中に接した黒人霊歌やネイティヴ・アメリカンのメロディの影響を感じさせる名曲中の名曲だ。第2楽章の美しいメロディは、日本では『家路』の名で親しまれ、小学校の下校の時間に流れる音楽として有名だ。これは今でも使われているのだろうか。
そして第4楽章冒頭の重厚なメロディは、新大陸を走る機関車の発車シーンを描いたものだと言われている。鉄道オタクとして有名なドヴォルザークは、アメリカ滞在中も暇があればニューヨーク・グランド・セントラルステーションに機関車を眺めに行っていたというのだから微笑ましい。そう思って聴くと確かに機関車の発車シーンに聞こえてくる。この素敵な逸話を、卒業&旅立ちの季節を迎えた子どもさんにそっと教えてあげてほしい。
録音は、人気曲故におびただしい数がある中から、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団盤(1977年録音)をお薦めしたい。ちなみにカラヤン(=写真、1908-1989)は『新世界より』を5回も録音しているのにびっくり。まさにこだわりの極地に違いない。
「旅は人を成長させる」「可愛い子には旅をさせろ」などなど、旅にまつわる名言は数多い。作曲家たちの新たな世界への思いがこもった名曲は、卒業という節目を迎え、新たな世界へと羽ばたく瞬間の素敵なBGMになりそうだ。
【著者プロフィール】
田中泰(たなか やすし)
音楽ジャーナリスト/プロデューサー。1957年横須賀生まれ。1988年、「ぴあ」入社以来一貫してクラシックジャンルを担当。2008年、「スプートニク」を設立して独立。J-WAVE「モーニングクラシック」ナビゲーター、JAL「機内クラシック・チャンネル」構成、「アプリ版ぴあ」クラシックジャンル統括&連載エッセイなどを通じ、一般の人々へのクラシック音楽の普及に務めている。一般財団法人日本クラシックソムリエ協会代表理事。