第一次お菓子缶ブームと第二次ブーム
null今、次々と発売されているかわいい&おしゃれなお菓子缶。長年、お菓子缶を研究している私ですら、あまりの発売数に追いつけないほどです。ウェブや雑誌でお菓子缶の特集が組まれ、百貨店やファッションビルで催事が開催され、今、まさにお菓子缶ブームは第二次期を迎え、真っ盛り!
ではお菓子缶の第一次ブームはいつかというと、今から約10年前と言われています。
この頃から菓子店やケーキ店にだけお菓子缶が置かれるのではなく、雑貨店にも置かれるように。“ただの包装材”から“かわいい雑貨”に立ち位置が変化した瞬間です。
食べ終わったあとに収納用品として使ったり、飾ったりして楽しむ人が増加。「食べ終わったあと捨てられない」「缶ばかりがたまっていく……」と、多くの人たちが“缶沼”にハマるようになっていったのです。
お菓子缶のルーツは…実はイワシの缶詰!?
nullそもそも食べ物を缶の中に入れることが日本で始まったのは1871年、明治4年のことといいます。1871年といえば、4年ほど前に大政奉還により江戸時代が終わったばかり。この年に“廃藩置県(はいはんちけん。全国の藩を廃止して県を置いた改革)”が行われ、そして日本初の缶詰といわれる“イワシの油漬け缶”が誕生しました。
缶は空気や水分を通しにくく、かつ光を通さないため食材を長期に渡って守ることができるため、缶の誕生により格段に“食品の保存”が利くようになりました。
その後1904年、日露戦争中に粉しょうゆを入れる缶や(今でいう)乾パンを入れるブリキ缶が作られるようになり、1909年になりやっと“お菓子缶”が普及し始めたそう。1909年といえば伊藤博文が暗殺され、赤坂離宮が建設された年。世界にはまだ“オスマン帝国”が存在していました。そんな中、お菓子缶の元祖は誕生したのです。
日本には湿気が大敵の食材があったおかげで、製缶技術が発展
null食べ物にとって湿気はなかなかの大敵。そのため、ティータイムを大切にするイギリスでも紅茶やビスケットを保存するため、古くから“缶”を使用していました。そして日本には、紅茶やビスケット以上に湿気に触れると風味やおいしさ、食感が失われてしまう“海苔”という存在がありました。
あのパリッとした食感と香ばしさ! 海苔の命ですよね。これが湿気を含むと一気にシナシナになり、香りも磯くさいだけになってしまい……同じ海苔とは思えないものになってしまいます。その海苔を保存するために缶は大活躍。そのため日本の製缶技術は海苔を守るために発展してきたといっても過言ではないのです。
こちらイギリス製の缶ですが、角の部分をよく見てください。金属と金属のつなぎ目に隙間があるのがわかります。でも湿気はこのわずかな隙間から入ってくるのです。
湿気させたくないものは海苔缶に入れて
nullそしてこちらは海苔の缶。金属と金属のつなぎ目が先ほどの缶のように隙間になっておらず、溶接され、しっかり閉じているのがわかります。そのため空気や湿気が入らないのです。しかもこうした溶接加工により、海苔の缶というのはほぼ100%湿気が入りません。
となると「同じく湿気が敵の紅茶やコーヒーの缶も優れているのでは?」と思いませんか。ところが紅茶やコーヒーの缶というのは海苔缶ほど優れた湿気防御能力を持っていないのです。だから湿気させたくないものは、おしゃれな紅茶やコーヒーの缶ではなく、渋いですが海苔缶に入れてくださいね(笑)。
いかがでしたか、缶の歴史、そして日本が誇る海苔缶の機能性。今、流行りのお菓子缶には、こうしたさまざまなバックグラウンドストーリーがあるのです。でも知れば知るほど、よりお菓子缶に興味を持っていただけるのではないでしょうか。
次回からはおすすめのお菓子缶をご紹介します。
監修:金方堂松本工業
編集者・フードジャーナリスト。多くの料理本や暮らしの本、キャンプ本を手がける。自著に子どものごはん作りの闘いを描いた『闘う!母ごはん』、『素晴らしきお菓子缶の世界』(共に光文社)がある。 プライベートでは猫2匹&犬1匹と小学生、大学生の女の子の母。ハワイじゃなくてグアムラバー/スターウォーズマニア/アダム・ドライバーファン。Instagram