豊がわが家にやってきた!
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夫と結婚したころ、「子どもを授かったらイヌを飼おう、子どもと一緒に育てよう」とふたりでよく話していました。2012年12月、お腹の長男が安定期に入ったころ、豊がわが家の一員となりました。2018年には次男も生まれ、うちの息子たちは豊を「お姉ちゃん」と呼び、みんなで一緒に大きくなりました。
豊がいたから、わが家のクルマはキャンピングカーです。そんなアウトドア家族に迎え入れられたのに、豊は散歩嫌いで究極のインドア派でした。一番好きな時間は布団のなかに潜っていびきをかいて寝ること。豊の足腰が弱らないようにと休みのたびに低山に登ったりと、わが家は豊中心に回っていました。子どもたちも、とくに長男は、トイレシートを替えたり、積極的に豊のお世話をしてかわいがってくれました。
豊と同じ布団で寝ていた私は、仕事部屋まで一緒に往復40分の徒歩出勤。とにかくいつも一心同体。豊と私は家族でもっとも長い時間を過ごしていたのです。






ある日突然病魔に襲われる
null豊は肌が少し弱いというのはありましたが、大きな病気もケガもせず、いつまでも毛がツヤツヤで、10歳越えても「パピー(子犬)ですか?」なんて散歩中に話しかけられる「美魔女」でもありました。そんな豊が急に泡を吹いて痙攣して倒れたのは、2024年GW前夜のこと。幸い翌日は土曜日で近所の病院がやっており、血液検査などをしたけど異常はナシ。脳波をとった方がいいと、都内のER(緊急動物病院)を紹介されその日のうちに検査入院。
結果はかなり思わしくなく、悪性の「脳腫瘍」。しかも進行中の「神経膠腫(しんけいこうしゅ)」、“グリオーマ”ってやつだろうと。それとは豊のような鼻ペチャ犬、「短頭種」に好発する病気だそう。人間のように毎年脳ドッグが受けられるわけでもないし、予防は難しいとか。ただ正確な診断さえつけば、残された時間を大切に過ごすことはできるとドクター。
急に訪れた「終わりの始まり」。
いつかは来ると思っていたけど、まさかこのタイミングで? いざ直面すると哀しくて。私のこと、一緒に過ごした日々のこと、忘れないでほしい。なんてことを思うたびに鼻の奥がツンとしました。風薫る大好きな5月。とんでもないGWとなってしまったのでした。



手術はせず病と「with」を選ぶ
null豊は美魔女とはいえ、ヒトでいう70歳くらいで、「高齢」に差し掛かった年齢だとERのドクター。開頭手術して放射線を当てるという治療法もあるそうですが、その際には毎回「全身麻酔」。週に何度も。費用は300~500万円かかるそうです。
完治するなら喜んでやりたいと思うもの、11歳という高齢な上、進行中の悪性の脳腫瘍を患っておりなかなか厳しい状況……。しかも毎回「全身麻酔」になります。鼻ペチャ高齢犬にはとりわけリスキーといわれ、全麻で命を落とす子もいるそう。
豊が大事だから、治るともわからない手術はさせたくない。ジタバタするのもやめよう。ここから先は豊の生命力に委ねよう! クスリを用いながら、命尽きるまで病気と「with」な方向でと、私たち夫婦の意見はキレイに一致したのでした。
2カ月間の壮絶な戦い
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ペットを飼おう! と盛り上がっているときに、死に際のことなんか正直想像できませんよね。はつらつとした子犬を目の前にしたら誰もがそうだと思います。 だからこそ病気の豊をお世話しているとき、11年半分の愛情と命の重みを感じました。ペットは最高にかわいいし、私は生き物が大好きだけど、現在進行形で本当にいろんなことを考えましたね。
日に日に激しさを増す、脳腫瘍由来の徘徊。昨日できたことができなくなるあせり。逆もまたしかり。
がんばれがんばれ。でも無理するな。いつも私は豊にそう言っていました。



フリーランスVSサラリーマンの戦いも勃発
null私はたまたまフリーランスだから豊とずっと一緒にいられるけど(ひとりで介護、ときたまものすごい孤独を感じるときもありますが)、一方で会社員の飼い主さんは、大変なときに傍にいてあげられないことにモヤると思います。わが家は夫婦の立場がまさに半々で、よくぶつかって喧嘩しました。
あと、「男女の違い」もハッキリ出ましたね。というのも私は豊が深夜に徘徊し出すと、パッと目が覚めてトントンして寝付かせるけど、夫は………。
ねぇねぇ知ってる? 昨日、夜中の2時と明け方の5時に私、豊のこと寝かしつけていたの。
「うそやん!」
まったく悪気がないから笑ってしまいます。聞こえているのに寝たふりーとか、スマホいじってるーとかじゃないから、いいのですが。夫いわく、私は豊の「寝かしつけ名人」らしいです……(笑)。
わが家の場合はフリーランスの私が、どうしても豊のお世話の比率が高くなりました。さらには闘病中、夫のアメリカ出張が重なったりと、結果、私が「限界!」と大爆発し、どうしたかというと、週末は豊の介護をお休みさせていただくことに。夫と息子たちにお願いして昼寝をしたり、美容院へ行ったり、ゆっくり過ごさせてもらいました。
誰かがこんなことを言ってくれました。
「精一杯、でも一緒に潰れてしまわない過ごし方って大事ですよね」
ほんと、こんな哀しいときでも「気分転換って大事!」と思ったものです。介護に育児に、ひとりで抱えては絶対にダメだと。



いよいよやって来た「別れのとき」
null豊が亡くなる前の晩、私の体力が限界で、夫と豊にリビングで寝てもらいました。深夜に豊がギャッギャと苦しそうに鳴いており。いつもより激しいなぁ。ていうか夫よ、あなた起きてる? 2時半くらいに様子を見に行くと(やっぱり寝られない……笑)、豊のことをトントンしている夫がいて。水をあげたり、オムツ交換していたり、甲斐甲斐しくやっている姿を見届けたら安心して、私はベッドルームに戻ったのです。
その後は、ああ静かだなぁ。やっと豊、寝てくれたかーと。私も眠っているのか起きてるのかボーッとしながら横たわっていたら、6時ちょうどだったか、長男が部屋に入ってきたのでした。
「お父さんが呼んでる!」
直感で、あ、豊逝ったな……と。
数日前から深大寺のペット霊園に話はつけていたので、スグに荼毘にふして、私と言えば人目をはばからずワンワン泣いて。「ばあちゃん(実母です)のときは全然泣かなかったのに、どうしてー?」と、完全に子どもたちにも引かれるくらい。その日の彼らの日記には、私が狂ったように号泣したことがつづってありました……。
だって犬って、いつまでも私のなかで赤ちゃんですもの。そりゃ母とは哀しさの種類が違うんです……。


止まない涙はない
null豊を焼いた翌日のこと。お寺の方が届けてくれた骨壺を受け取った瞬間……。
やばい。涙が一粒も出ない! 逆にあせる!
おそらく私のなかで、豊は成仏したんだなと思いました。倒れてから2カ月間、ほぼ24時間ずっと彼女を看病してきたので、どのくらい弱っていくかのを過程をすべて目の当たりにした。だから豊を思い出すとき、骨と皮になってスカッとあの世に逝ってくれた姿だったのです。
それでか、お互い苦しみから解放されたような、ちょっとスッキリした気分なのかなとジブンでも驚いたのでした。
モイラ・アンダーソン著『ペットロスの心理学』によれば、ペットロスなどの深い悲しみからの回復においては、「悲しみを悲しみ、苦痛を苦痛として味わうことが、唯一の克服方法」だとか。
私、ちゃんとやれたんだなと。
置かれた立場はそれぞれなので「何が正解」とかないけど、可能な限り向き合った分だけ、よい時間となるのはたしかだと思ったものです。

豊からのプレゼント
null長くなりましたが、皆さんは、どのようにペットが亡くなったとき、悲しみから乗り越えましたか?
私は、いまだにこの文章を書きながら、めそめそと泣いてしまいますが(キーボードの前にティッシュが山盛り! 花粉症の季節とはいえ、ハタから見たら異様な光景ですね笑)、ただそれは哀しみの涙ではなく、当時のことを思い出して、「ああ、お互いよく頑張ったね!」というねぎらいの涙というのは間違いないです。
豊が居なくなって、子どもたちに手が掛からなくなっていることにふっと気づいた瞬間がありました。11歳と6歳。大きくなりました。これからは少し、私らしく生きよう。豊が居て、子どもが生まれた約12年、「旅エッセイスト」として忘れていた「ひとり旅」をボチボチ始めていますよ。先日も3泊4日で佐賀県に行ってきました。まさに豊からのプレゼントですね。
「ジブンをもう一度取り戻す」という作業も、ペットロスにならないために大事なことかもしれません。
