「あんばやし」と「とろろ昆布のおにぎり」
null富山では、「旅の人」という言葉がある。県外から来た人は、たとえ富山に何十年暮らしてもこう呼ばれる、事がある。富山で生まれ育った人だけが、富山の人なのだ。
というような状況は、今はもうあまり聞かない気もするけれど、私がここで暮らし始めた頃は、よくその言葉を耳にした。ちょっとした差別というか、区別をする言葉だったかもしれない。どちらにしても、良い意味ではなかったようだ。
でも私は元々旅が好きだったから、「旅の人」と呼ばれるのが何だか嬉しかった。富山の事を全く知らないし、富山弁も話せない。異国から来た者(実際にカナダから嫁いだので間違っていない)は、だからこそ余計に、富山の文化に興味津々になるのだ。
特に食べ物は、「よごし」とか「山菜の昆布締め」とか「押し寿司」とか「水だんご」とか「タラ汁」とか「べっこう」等など、興味を惹かれるものが多い。この「あんばやし」もその1つで、こんにゃくの田楽の事だ。
富山県の郷土料理で、薄い三角状の白こんにゃくに、生姜の効いた甘辛い味噌だれをかけていただく。
温めるだけ(又は夏場は冷やした状態でそのまま)という手軽さと、ツルンとした喉越しが堪らない。富山でも、特に東部で「あんばやし」と呼ばれる事が多いそう。祭りには欠かせない存在で、竹串に刺した状態で提供される。
面白いのは、ルーレットを回して出た数の本数をもらう事ができるのだ。5本の時もあれば、大当たりで15本の時もある。子ども達は大喜びで、ルーレットを回したがる。価格もお手頃だ。
旅の人である私の、富山の祭りのイメージといえば煌びやかな曳山ではなく、断然「あんばやし」だ。あぁ、あと「どんどん焼き」も忘れてはいけないが、これについてはまた別の機会で書こう。
「旅の人」が富山のご飯でもう1つ強く印象付けられているのが、「とろろ昆布のおにぎり」。
富山は昆布の消費量が全国1位だった年もあったり(2020年)と、とにかくよく食べる。北前船(江戸時代から明治時代にかけて、大阪と北海道を結んで商品を売り買いしながら結んでいた商船のこと)の寄港地として賑わった名残からだ。
当時は富山から主にお米が積まれ、北海道からニシン(お米の肥料用)や昆布が運び込まれたそう。昆布にゆかりの深い場所なのだ。
その昆布を削ったものが「とろろ」で、黒と白がある。昆布の表面を削ったものが黒、中の方を削ったものが白。黒は昆布の味が濃い目で、お酢の味も強い。白は淡く上品な味。ほのかな甘みで酢の味もまろやか。
おにぎりには、富山県の人曰く断然「黒」なのだそう。
具は梅干しや、昆布の佃煮を入れてダブルで昆布を楽しむ場合も多いとか。私は「旅の人」なので、塩も何もつけずシンプルに。
表面にたっぷりまぶすのが定番だけれど、うっすらとまぶすだけにしている。
「あんばやし」と「とろろ昆布のおにぎり」に、たまたま炊いていた花豆を添えて休日のお昼ごはんにした。
時々、長野のお土産でいただく花豆。既に甘く味付けされたものが多くてちょっと苦手だったけれど、今回は自分好みの、豆の味をしっかり味わえるように薄味に炊き上げた。
味付けは、ほんの少しの砂糖と塩だけ。日持ちはしないけれど、すぐに食べちゃうから大丈夫。
彩りが悪いけれどでも、こういう素朴な郷土料理はしみじみ美味しい。富山に遊びに来る方にも是非、食べていただきたい。
「あんばやし」はまれに居酒屋さんでもメニューにある。「とろろ昆布のおにぎり」は居酒屋さん・ラーメン屋さんの〆として、またコンビニや駅のお土産コーナーでも販売されている。
お寿司や寒ブリ、ホタルイカに白エビなど、富山は海産物が有名だし人気だけれど、こういう郷土料理こそが面白いと「旅の人」は思う。
さて娘は「旅の人」ではなく、富山生まれ富山育ち。富山が大好きな富山ネイティブだ。この秋も彼女なりに忙しい日々を送っていて、ちゃんと会話ができるのは学校への送迎の時くらい。
その彼女が珍しく、夜ごはんの後にプレゼンを聞いてほしいと話しかけてきた。何でも文化祭の時に、先日この連載でも書いた【連載140「帰国した娘(高1)のリクエストごはん」】トビタテ留学の報告の場があるそう。どういうプログラムなのか、どうして参加しようと思ったのか、合格に必要だと思う事、実際に現地で体験してきた事などを話すのだと。
私の時代は発表と言えば模造紙を使ったものだが、今どきの子はiPadでスライドを作り上げるスキルがあるのだなぁ。
と、感心ポイントはそこではない。
原稿は、ない。何度も練習をして、自分の言葉で伝えようとする姿勢がそこにはあった。説明をする時の緩急や声の大きさなどは、長く舞台(小さい頃からミュージカル教室に通っている)に立つ経験が役立っていそうだ。それに応えるように私も真剣に耳を傾け、アドバイスを送った。
そうして本番を迎えた。文化祭では、所属するダンス部の発表で踊り、選択クラスの音楽で合唱を歌い、クラス出し物の甘味処の大学芋を作りとフル稼働。最後の最後にこの、トビタテ留学の報告だった。
かなり緊張をしたと言っていたが、堂々と身振り手振りを添えながらスライドを使って説明をする娘。
1人で海外に行った事はもちろん大きな経験だったけれど、こうして振り返る機会を与えていただき、大勢の前で発表した事も素晴らしい体験になったと思う。
また1つ成長した娘を実際に見る事ができて、親として誇らしく嬉しい気持ちになった文化祭だった。
新米お届けが少し落ち着いて、娘の大きな山場だった文化祭も終わったので、家族でお休みを取り東京へ出かけた11月の3連休。
季節外れの大雨だった初日は美術館へ。
その手が苦手な娘は、東京の友達とどこかへ遊びに行ってしまった。
夜だけ集合して、この時は友人家族と一緒に食事を楽しんだ。旦那さんの大学時代の、先輩ご夫婦。
時々こうして東京で、ご飯をご一緒している。から、娘も小さい頃からよく知っているご家族だ。
今をときめくドジャースのユニフォームが眩しいが、かつてロサンゼルスに長く暮らしていた方で筋金入りのファン。今回は娘がロサンゼルス郊外で短期留学生活をしてきたので、現地の話でも盛り上がった。
親戚とはまた違うこういう関係性は、娘にとっても面白いみたいで喜んでついてくる。またご一緒できる事を楽しみにしています!
愛知県生まれ、千葉(スイカの名産地・富里)育ち。大学卒業後カナダへ。バンクーバー、カムループス、バンフと移り住み、10年間現地の旅行会社で働く。カナダの永住権を取得したにも係わらず、見ず知らずの富山県黒部市で農家に転身。米作りをしながら、旦那とココ(娘)と3人で日々の暮らしを楽しんでいます。黒部の専業米農家『濱田ファーム』はこちら。