子育て世代の「暮らしのくふう」を支えるWEBメディア

娘(14歳)の成長はマルシェと共に。3年ぶりの出店!【お米農家のヨメごはん#100】

こんにちは! 富山県の黒部市というところで、お米だけを作っている小さな小さな農家の濱田律子です。旦那とココ(娘・14歳)と3人で、地道に真面目にコツコツとお米を作りながら、仕事に子育てにドタバタもがきつつも楽しく暮らす。そんな私たちの、食卓周りの日常を皆さんにお伝えする連載100回目。
記念すべき節目の今回ですが、久しぶりのマルシェ出店の様子、そして、マルシェでの娘の成長についてお伝えしたいと思います。

3年ぶりの、東京でのマルシェ出店!

null

3年ぶりの、東京でのマルシェ出店。コロナという事もあったけれど、娘の中学受験やお稽古事のスケジュールが重なり、身動き取れない時期が続いたからだ。 久しぶりすぎて、何を用意すべきかすっかり忘れている。1つひとつ思い出し、確認しながらの準備となった。

出店当日の早朝、というか深夜2時過ぎに家を出て東京入り。到着すると、青空と高層ビル群が私たちを迎えてくれた。 懐かしい景色だ。

東京でのマルシェ出店は、14年前から。稲刈り終了後の10月から春作業が始まる前の3月まで、 農閑期の月1回、定期的に出店。六本木アークヒルズのヒルズマルシェと、国連大学前の青山ファーマーズマーケット、 この2カ所で出店させていただいている。

今回は久しぶりの出店となったが、娘は慣れた様子で準備を手伝ってくれた。手伝うように言ってなかったのに、当然のように自然と。助かるし頼もしい。この時点で早くも、娘の成長を感じられた。

什器を組み立て、用意したお米を棚に並べていく。量り売りも久しぶりだ。

娘が小さい頃に書いたPOPが、何とも味がある。 そう感じるのは、親だからだろうか。 まだ書ける漢字が少なかったのだろう、「黒べ」という表記が愛らしい。

娘はこんなにも成長したけれど、まだまだ小さかった頃、そして私たちも若かった頃、 悪戦苦闘しながら東京に出て出店した事を懐かしく思い出す。 というわけで、昔の写真を引っ張り出してきてみた。

マルシェ出店スタートは、娘2歳のころ

null

初めての出店は代々木公園、もう今は開催されていないマルシェだ。右も左もわからず無我夢中で、何より一生懸命だった。そして娘はまだ、たったの2歳だった。

親に連れられ、どこだかもわからず、たくさんの人、人、人……。 それでも好奇心旺盛で人見知りしない性格だったからか、楽しそうに遊んでいたと思う。 そのうち疲れたのだろう、私の足元でぐっすり寝てしまった。

お昼寝をする幼少期はこうして、お布団を持参して出店していた。娘が寝ている間がチャンスとばかりに、一生懸命に販売していたのが懐かしい。

まだ卒乳していなかったので、出店中でも授乳に気を使った。それに加えておむつ替え、そしてお昼寝。今こうして思い返しても、よく出店していたなと思ってしまう。

少し大きくなると、恥ずかしがりながらも親のそばで「いらっしゃいませー!」と声を出したり、お釣りを渡したり。 娘にとっては、お店屋さんごっこの遊びの延長だったのだろう。

とはいえすぐに飽きるので、お絵かき帳や色鉛筆は必須。 おやつに絵本と、娘が退屈しないような準備もたくさんした。 今やすっかりスマホ漬けの娘も、この時期はまだまだこうして自分なりに工夫して時間を過ごしていた。

時に私の両親が、千葉から孫の顔を見に来ては娘を連れだしてくれた。 両親は孫に会えるし、娘は何でも言う事を聞いてくれる祖父母と遊べるし、 私たちは出店に専念できるしで、三者にとって良い事づくしだった。 娘にとってマルシェは、祖父母に会える場所だった。

私たちの友人が遊びに来てくれると、友人の子どもたちと一緒に過ごす時間も多くなっていった。 保育園以外の子どもたちと遊ぶ、貴重な機会だったと思う。

さらにはお子さん連れの周りの出店者さんもいて、子どもたち同士で遊ぶ事も多かった。 娘は特にお姉ちゃんが大好きで、よく遊んでもらっていた。

そのうち子どもだけではなく、他の出店者さんとも仲良くなっていった。出店の度に、大きくなったね!何歳になった?と声をかけられ成長を見守っていただき、親としても本当に有難かった。

娘は家だけでなく、保育園やこういうマルシェという場で多くの人に出会い声をかけてもらい、 社会性を培って成長していったのだと思う。

他の出店者さんの、試食用の調理を手伝ったり、事務局の方と出かけたり(この後ちゃっかり、大好きなタピオカミルクティーをご馳走になっていた)。 マルシェは娘にとって、居心地のいい場所だったのだろう。

過ごしやすい季節の時もあれば、極寒でビル風が吹きつける寒い日もあった。年々成長していく娘をマルシェで観察できたことは、親としても喜ばしかった。

娘が書いた看板に成長を感じる…

null

そうそう、娘が書いた看板からも成長を感じられる。

この看板にしても、よく観察しているなぁと思う箇所がたくさんある。収穫作業を描いたコンバインの周りにたくさんある点々は、大量に舞い上がる埃と、刈り取った籾に含まれるガラス質の成分だ。

実際に収穫作業をすぐ近くで見ているからこそ知りえるし、描ける。さすが農家の娘だと感心してしまった。

またある時の看板は、いただきます!とご飯に手を合わせる様子が描かれていた。 私たちは何も指示はしない、自由に描いてもらっていたのに、この題材。 自然に当たり前のように、手を合わせる姿も誇らしい。

子どもらしい題材からそのうち、自作の塗り絵を販売するお知らせになっていったのには、苦笑い。 マルシェでお小遣いを稼ぎたかった魂胆からか。 値付けがおかしいのはご愛敬。

普段あまり撮らない家族写真も、たくさん残っている。 娘の成長と共に、私たち親も歳を重ねていった様子がわかる。ブログのネタにと撮り続けていた写真が、思いがけず私たち家族のヒストリーになっていった。

そうして今この連載でマルシェを振り返りつつ、娘の成長、そして私たち家族の変遷を見る事ができる機会を、有難く思う。

マルシェは、お米を販売したり宣伝をする場というだけではなく、 いろいろな方々との出会いがあり、娘が成長できる場所だった。

過去を振り返りこうして今回の出店の様子を改めてみると、 娘の背は大きくなり、旦那さんの白髪は増えた。

小学校6年生の頃に反抗期があったけれど、今やそれもほとんどなくなった。 娘と旦那さんは仲良さそうに、楽しそうに作業している。 こういう父と娘の姿を見られる事は、私にとっても嬉しい。 これからも仲良く、ね!

最後に、今回のマルシェでの家族写真を。

お客様、マルシェ事務局の方、出店者さん、友人、家族、皆さまに、 感謝の気持ちでいっぱいです。 娘の成長を暖かく見守っていただき、本当に、本当にありがとうございます! 次のマルシェ出店はかなり先になりそうですが、 またこの場でお会いできる事を楽しみにしております。

濱田さん一家の『濱田ファーム』ホームページはこちらから。

濱田律子
濱田律子

愛知県生まれ、千葉(スイカの名産地・富里)育ち。大学卒業後カナダへ。バンクーバー、カムループス、バンフと移り住み、10年間現地の旅行会社で働く。カナダの永住権を取得したにも係わらず、見ず知らずの富山県黒部市で農家に転身。米作りをしながら、旦那とココ(娘)と3人で日々の暮らしを楽しんでいます。黒部の専業米農家『濱田ファーム』はこちら。

pin はてなブックマーク facebook Twitter LINE
大特集・連載
大特集・連載