なるべく「いい人」として…
nullこのエッセイを読んでくださっている方たちから、「優しい息子さんですね」とか、「素敵な親子関係ですね」とか言っていただくことが時々あります。ありがとうございます。
で・す・が、優しい時の話を書いたり、おお今日は素敵な会話ができたと思った時の話を選んで書いているのであって、毎時毎秒、優しかったり素敵な関係だったりするわけでは、もちろんない。
ただ、そういった感想をもらって「あ、そういえば」と思い出したことがある。
実は、ある時から、息子への接し方が変わった気がしている。今日はそれについて書いてみたい。
ある時から、というか、具体的に言うと、2015年8月からなのだけれど、私は対人関係における基本フォーマットをがらっと変えた。
なるべくいい人として、周りの人に接しようと決めたのだ。その“周りの人”の中に、息子も含まれる。彼が4歳の時だ。
それまでの私は、大変性格が悪かった。
たとえばライターという仕事に関しては、自分だけがうまくいけば良いと思っていたから「ああ、ここにいるライターの先輩たち、全員妊娠して育休に入ってくれないかなー。そしたら私の仕事増えるのに」などと思っていた。
チームを組んだライターさんがミスしたら「ちょっと勘弁してよ。私まで仕事できない風に見えるじゃん」と腹が立った。
嫌なヤツだ。
なのだけど「あ、私、これから性格を良くしよう。いい人になろう」と思うきっかけがあった。
ライター仲間のMちゃんに出会ったのだ。
「嫌な人」になる必要がない
Mちゃんは、いつもにこにこしている感じの良い人で、
「この間、編集者の◯◯さんにお会いしたのですが、ものすごく人格者でいらして!」
とか
「ライターの△△さん、本当に素敵な方ですよね。私、感動しました!」
とか、いつなんどきも人を褒めている人だった。明るくて、爽やかで、屈託がない。仲間はみんなMちゃんが大好きだった。
が、性格がねじまがっている私は、ひそかに「この人大丈夫かな。そのうち誰かに騙されるんじゃないかな」と思っていた。あらゆる人を「いい人」だと言うからだ。面と向かって「誰と会っても感動しましたって言ってるけど、Mちゃんの感動って安くない?」と伝えたこともある。嫌なヤツだ。
彼女が褒めちぎっている人たちの中には、私がよく知っている人もいた。だけど、私にはその人たちが人格者には見えなかったし、むしろ、嫌な思いをさせられた人もいたから、「Mちゃん、人を見る目がないんじゃないか」、もしくは「高度なお世辞? ピュアなふりして意外とあざといとか?」とまで思っていた。
ところが、あるプロジェクトをご一緒するようになった時のこと。彼女が、演技でもお世辞でもなく、心の底からその人たちを素晴らしいと思っていることがわかってびっくりした。
そして、もっとびっくりしたのは、彼女に対しては、その人たちが「ほんとうに」いい人らしいということだった。
私にはマウンティングしてきたり、横柄な態度をとったりする人たちも、Mちゃんの前では、「ほんとうに」いい人らしいのだ。実際、私が苦手な人だなと思う人でも、Mちゃんと一緒に会ったら、人が違ったようにいい人である。
最初は、「この現象、一体何?」と思っていたのだけれど、そんなことを何度もくり返しているうちに、謎がとけた。
そうか。
こういう邪気のない、素直に人を信頼する人に対して、脅威を抱いたりマウンティングする必要がないから、みんな「嫌な人」になる必要がないんだな、と気づいたのだ。
Mちゃんは「私、周りにいい人しかいないんです」と、ナチュラルに言う。でもそれは、「誰に対してもいい人」がMちゃんの周りに集まっているわけではない。「Mちゃんに対しては、自分のいい側面を丸出しして付き合う」ようにしている人が多いというだけの話だったのだ。
そして、ほとんどの人は、自分が「いい人でいられる」状況を心地よいと思う。だから、いい人の側面で付き合える人のことは、より好きになるし、より「いい人」でいようというサイクルがまわる。
結果的に、Mちゃんの周りの「いい人率」は、どんどん高くなっていく……。
なんということでしょう。
もっと、息子を好きになってきた
この法則に気づいてから、私は一念発起して、人との接し方をがらっと変えた。
なるべく相手の、素敵な部分を、良い側面を、じーっと見てみようと思うようになった。
それは、どうせ生きていくなら、Mちゃんみたいに、いい人に囲まれて毎日楽しそうに生きている方がいいなと思ったこともある。
でもそれ以上に大きな理由は、私自身が、「Mちゃんといる時の自分が、一番好きだ」と思ったからだ。
Mちゃんといると、私はいつもとてもリラックスできる。この人は私を攻撃してこない。何かトラブルがあったとしても、話し合えば必ずわかってくれる人だという安心感は、私をとても楽にしてくれた。
Mちゃんの前では、肩の力を抜いて自然に振る舞える。そんな時間が増えると、自己肯定感もあがる。自分のことを、好きになっていく。
こんな幸せな経験を、私の周りの人にもしてもらいたい。私もMちゃんみたいな存在になりたいと思ったのだ。
心を入れ替えて、周囲の人をじっくり観察したり、相手に質問をしたりしてみると、これまで見えていなかった他人の新しい顔が見えるようになった。
いちいち仕事の細部にまで口出ししてくるなと思っていた人は、心の底から後輩を育てたいと思っていることがわかった。その前提で話を聞くと、その人の指摘はありがたいアドバイスばかりだった。私が素直に指摘に感謝したり、それを踏まえた新しい提案をしたりすると、とても喜んでくれ、どんどんチャンスをくれた。
「後輩の仕事を潰す老害」なんて思っていて、ごめんなさい。私は過去の自分に頭を下げる。
息子に対しても、同じ時期に、接し方を変えてみた。
もちろん、子どもなのだから、やぶってはいけないルールを教えることは大事だ。それは親の役割だと思う。間違っていると思うことは、伝えなくてはならない。
でも、自分や人を傷つけない範囲の行動に関しては、なるべく、彼の素敵なところ、可愛いところ、優しいところ、個性的なところ、そんなところをいっぱい見たいなと思っている。
そうやって、彼を見ているうちに、私はもっと彼を好きになってきた。
素敵な考え方をするなあとか、面白いことを話すなあとか、なんて優しい心なんだろうとか。彼の言葉や行動に感動することも増えた。
毎回ではないけれど、「ママは、キミのそういうところが、とても素敵だなあと思っている」と伝えている。
そして、ときどき、このエッセイにも、そんな私の気持ちを書いている。
画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第53回は11月6日(日)に公開予定です。
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。
著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学5年生の息子と暮らすシングルマザー。