塾うんぬんの前に…
null(前回のお話)
3年生の冬休み直前。突然「ぼくも自分で中学を選んでみたい」と、中学受験参戦を希望してきた息子氏。
中受は親の負担がきついと聞いていた母は、なんとか負担の少ない塾を見つけ出し、入塾試験を受けさせたのだが……。(【vol.18】ぼくも、自分で中学校を選んでみたい)
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入塾試験から帰ってきた息子氏は、しょぼんとしていた。
「なんかね、難しくてよくわからなかった」
「そっかー。でも、大丈夫だよ。ダメだったらまた受ければいいし、何回でもチャンスはあるから」
「うん……」
このときは、「大手の塾じゃないにしても、それなりに難しいのかな」くらいの認識だった。 驚いたのは、不合格通知が送られてきたとき。
小学生でも偏差値って、出るのね。
で、数字を見て驚いた。かの有名なビリギャル様のスタート時の偏差値を、軽く超えていた。いや、この場合、超えていたというのは変か。
いやはや。思い込みってすごい。
よく本を読んでいるし、喧嘩したらすっごくロジカルな反論してくるし、ママはキミが天才なんじゃないかと思っていたよ。
答案用紙を見たら、そもそも、四則演算ができてなかった。
漢字もあれだね、イラストとして記憶してるんだね。ざっくり方向性は近いんだけれど、彼の書く漢字は象形文字だった。全体的に、惜しい。
そうか、なるほど。こんな感じでしたか。
彼の新しい一面を発見したようで、つい楽しい気持ちになっていたのだけど、現実的な対処が必要だとわかったのは、塾を調べてくれた弟に報告した時だ。
「アネキ、それ、塾うんぬんの前に、息子氏って学校の授業についていけてないんじゃないかな」
ん? え? あ、そうか。そうなのかも。
そういえば、2年生の時、
「掛け算を覚えたくないって言って、授業中ずっと本を読んでいるんです」
って呼び出されたことがあった。
話を聞くと「ぼくは掛け算が好きじゃないみたいなんだ」と言っていた。私はなんと答えたっけ。たしか、「でも、2の段と5の段はやっておいた方がいいよ」と答えた気がする。
そうか。あそこから進展してなかったのか……。
「ぼく、頭が悪いんだ」
○が数えるほどしかついていない答案用紙を見た息子氏は、試験当日以上にしょぼんとして
「ぼく、頭が悪いんだ」
と言う。
いや、まてまて。それは違う。ここはちゃんと言っておかなきゃいけない。
「いや、ママは、キミの頭が悪いって思ったこと一度もないよ。いつも、キミが話してくれることを聞くと、いろんなことを考えていて、すごいなあって思ってるよ。たんに、こういうテストが苦手だってだけだと思う」
と伝えた。本心だ。
とはいえ、この状態を知ってしまったいま、義務教育に対してまったく無対策でいいのかというと、ちょっと悩む。
「どうする? 塾に入るの、やめる?」
と聞いたら、しばらく考えて
「いや、行きたい」
という。
と、いうわけで、我が家の「中学受験のため塾に通おうプロジェクト」は、「いったん、学校の授業についていけるくらいになろう。なったらそのあと塾に関して考えようプロジェクト」に変更された。
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最初に相談したのは、当時、週1でオンライン家庭教師をしてくださっていた先生だ。去年緊急事態宣言で学校に通えなくなった時からお世話になっている。
家庭教師といっても、教わっているのは学校の授業とは関係なく
・ギリシャ神話に出てくる神々のエピソード
とか
・絶滅危惧種について調べよう
とか
・GAFAと独占禁止法について
とか、そのつど興味を持っていることについてディスカッションをしてもらうような内容だったのだけれど。
私はその先生に
「せっかく楽しい授業をしてくださっているのに申し訳ないのですが、しばらくの間、四則演算を教えてもらってもいいでしょうか」
と、お願いした。
「うーん、息子氏の性格を考えると、いわゆる勉強はまだ先でもいいような気もしますが……。わかりました」
と、承諾してくれる。
が、2・3回授業をしてもらったある日、当の息子氏が訴えてきた。
「ママ、あのさ。家庭教師の先生に算数を教えてもらうのは、先生の無駄づかいな気がする」というのだ。
「無駄づかいって?」
「いや、せっかく先生とはいつも面白い話をしているのに、その先生から算数を習うなんて、先生の才能の無駄づかいだと思う」
なるほど。うん、まあ、たしかに。
「じゃあ、どうしようか。ママが教えてあげられればいいんだけれど……(締め切りがたてこんでいて、それどころじゃないです)」
すると
「ぼく、ばあばに教えてもらいたい!」
と、言う。
私の母は、数学の教師だった。
これまでにも、実家に帰ったり、家にきてくれたりしたときは、彼に算数を教えてくれていた。そのときの、ばあばの教え方が、とてもわかりやすいのだという。
なるほど。いいかもしれない。
私は、母に事情を話して、ちょっと勉強を見てあげてくれないかと相談してみた。
母は二つ返事で、いいよ、と言ってくれた。
ちょかねする……?
以来、毎日1時間、北海道に住むばあばとのLINE電話勉強会が行われている。
「ばあばは、問題文は必ず声に出して読むようにって言うんだ」
と、息子。
母に聞くと、
「息子氏、問題を読み飛ばすクセがあるんだよね。だから、面倒でも問題に下線を引きながら音読することと、途中の計算式を書き出す訓練をしている」
とか。
「よくわからないけれど、やりかたは全部お母さんにまかせる。ありがとう」
と、伝えた。
2人は北海道と東京で、それぞれ同じ問題集を買って、LINEのテレビ電話を使って勉強をしている。
母も、最初はどうやってLINEで顔うつすの? パソコンでどうやってLINE開くの? みたいな感じだったのに、どんどんオンラインコミュニケーションに慣れてきたようだ。 最近では実家にホワイトボードのようなものが用意されていて、そこに数式を書き込みながら、教えてくれているらしい。
私はいつも仕事をしながら、隣の部屋からうっすら漏れてくるやりとりを、聞くともなしに聞いている。
この間は、
「すすむくんは、毎日5円ずつちょかねすることにしました」
という声が聞こえてきた。
「ちょかね……?」
と、思ったら、続けて母の声が聞こえる。
「それね、ちょきんって読むんだよ」
……そこからか(笑)。
「計算ドリル、満点だったよ!」
ばあばと毎日やりとりするようになってから、彼は勉強が楽しくなってきたようだ。
私といるときも、ことあるごとに、質問をしてくる。
「ねえママ、愛知県って、何県?」
「10億円って、何万兆円?」
質問自体がなにやら様子がおかしい。が、わからないことがわかるようになる楽しみを、彼は知ったようだ。
そういう喜びを知ってくれることは、とても嬉しい。
「これは、こういうルールだから」
が、納得できない息子氏は、
「いや、全然意味がわからない。どうしてそうなるの? 理由は?」
と、腹落ちするまで何度も質問をくりかえす。
私だったら、5分ともたないなと思うのだけれど、母は根気よく付き合ってくれていた。
「ここ一年ほどは、結果(点数)を急がないで、自分が納得することに時間かけたほうがいいんじゃないかと思う」
と、母。
その後も何度か入塾試験を受けたが、合格基準にはほど遠い。
「うん、わたしもそう思う。正直、お母さんが毎日教えてくれるなら、塾、行かなくていいって思ってるくらい」
そうこうしているうちに、彼は4年生になった。
学校での勉強もずいぶん楽しくなっているようだ。
「みてみて。漢字のテスト、100点だった!」
「計算ドリル、満点だったよ!」
意気揚々と、ランドセルからテストを取り出す。
彼がテストを見せてくれるようになってから気づいたのだけれど、そういえば、これまで私、彼から学校のテストを見せられた記憶がほとんどない。
これまで3年分のテストたちは、どのエアポケットに消えていっていたのだろう……。あれかな。のび太みたいなやつかな。そのうち、聞いてみよう。
そんなこんなで。
ばあばと二人三脚の日々が半年ほど続き、ああ、塾に入らないにしても、入塾テスト受けてよかったな。勉強の楽しさを知ってくれてよかったな、と思っていた矢先。
塾から、電話がかかってきました。
「合格しました」って。
何度めのトライだったろうか。
複雑な気持ちで彼に合格を伝えたら、いままで一度も聞いたことのないような周波数の音で「やったー!」と飛び上がった。すっごく飛んでた。こんな笑顔、はじめてみた。
もう、塾には行かなくていいんじゃないか。
そう思っていた私は、それは口に出せず
「4回まで体験授業を受けられるんだって」
と伝えたところ
「体験なんていらないよ。ぼく、入るって決めてるから」
と、おっしゃる。
「でも、入学金払ったあとに、やっぱやーめたってならない?」
と聞くと
「絶対に、ならない」
という。
で、ですよね。
母は粛々と、お振込にいきました。
よほど嬉しかったのだろう。家に戻ってきたら、彼は塾に必要な持ち物を指差し確認していた。
この先どうなることやらだけど、うん、でも、よかった。
時間をかけて何かに挑戦して、何回か失敗したけれど、何回目かに成功した、という体験が彼をすごく喜ばせていること。
それを知れたことは、本当によかったね。
今日、彼は、はじめて塾に行く。 どうなることやら。
画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第20回は5月30日(日)に公開予定です
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学3年生の息子と暮らすシングルマザー。