-閑歳さんのキャリアについて教えてください。
高校時代からインターネットやプログラミングに興味を持っていました。大学時代の研究室で、友人と一緒に大学のキャンパス内で使えるインターネットのサービスを作ったのが、今のキャリアの大本になっている気がしています。
就職という面では、最初に内定をいただいたのが日経BPだったこともあり、そのまま入社しました。書くことが好きでしたし、出版社は様々な人と会えるのでは?という期待がありました。実際には通信系の記者を担当することになり、普通に生活していたら話を聞けないような方にも会える貴重な経験を積むことができました。
3年ほど記者として勤めたころ、大学時代の同期が立ち上げたインターネット分野の企業から新規事業を担当するメンバーが欲しいと誘われたので、転職しました。初めての転職でしたし、日経BPは環境も人もすごく良い会社だったので、退職するのは緊張しましたね。不安もありましたが、二度とインターネットの世界にチャレンジする機会はないかなと思い、飛び込んでみることにしました。
-そこから3社目に移られたのはどのような経緯だったのですか?
2社目も良い会社だったのですが、その会社のメイン事業である受託の仕事ではなく、自分自身の名前でサービスを作りたいという気持ちが強くなり、再度転職を考えるようになりました。
自分の志向としては大きい会社で働くよりも、小さい会社で大きな裁量を持って働くのが向いているという実感がありました。さらに、尊敬できる上司の元で働きたいなと思い探したところ、株式会社ユーザーローカルに行き当たり、社長と二人三脚で働くことになりました。
-3社目に在籍しながら『Zaim』を開発して起業したということですが、なぜ会社にいながら個人で開発されたのですか?
ユーザーローカルの仕事は企業向けの仕事だったので、業界内では知っていただくことも増えました。しかし一方で、大学の時に作ったような一般の方向けのサービスも手がけたいという気持ちが大きくなってきたんです。例えばあまりインターネットに詳しくない、自分の母親が使う可能性があるような、そんなサービスをやってみたいと。
ただ、コンシューマー向けのサービスは当たるか当たらないかがハッキリと別れるという側面があります。大きい会社でかなり大きな予算で作っても、それが本当に良い物でないと定着しません。会社として損をする可能性もかなり高いので、業務としてではなく自分の時間を使うことにしました。
また、サービスを続ける・辞めるを自分で決断したかった、というのもあります。自分ひとりでやっている限り進退は自由ですが、会社所属だと上司の意向に左右されてしまいます。最終的な責任を、自分で持つようにしたかったんです。
サービスをリリースした当時、iPhoneなどスマートフォンが浸透してきたことも追い風になりました。はじめはWeb版から作ることも検討していたのですが、先述した大学時代に一緒にサービスを作った友人がiPhoneやiPod用にギターアプリを出して、すぐ世界中で話題になり100万以上ダウンロードされている状況を目の当たりにしたので、iPhone向けから開発しました。
このタイミングであれば、個人の力でも大きなインパクトを残せるのかもしれないという思いを持っていました。
-かなりお忙しかったと思うのですが、個人の開発時間はどう捻出したのですか?
どうしてたんでしょうね(笑)。確かに今思うとどうやって時間を捻出してたんだろうと思いますが、当時は“すごく大変”という思いはありませんでした。
普通の回答になりますが、業務後と土日に作っていましたね。だいたい4~5カ月くらいだったと思います。
【著者】閑歳孝子(かんさい・たかこ)
Zaim 代表取締役。日経BP社にて専門誌の記者に従事した後、Web業界に転職。その後個人で開発していた家計簿サービス『Zaim』を2012年に株式会社化。550万ダウンロードを超える日本最大級のサービスへと成長している。経済産業省主催「流通・物流分野における情報の利活用に関する研究会」委員、公益財団法人日本デザイン振興会主催グッドデザイン賞審査委員。
【撮影】
黒石あみ(本誌)
2016/08/30 BizLady掲載