今回の【月イチ映画のススメ】は、モーリス・ベジャール・バレエ団と東京バレエ団が、故ベジャールが振り付けをした不朽の名作バレエ『第九交響曲』を2014年に共同制作していく舞台裏を描いたドキュメンタリー『ダンシング・ベートーヴェン』。
クラシック音楽やバレエファンでなくとも、「いまの世界で大切なことは?」「人間ってなんだろう?」といった、いつかは子供に問いかけられそうな普遍的な疑問について考えさせられる作品です。そこで、『第九交響曲』にかけるベートーヴェンやベジャールの想いと共に映画の見所をご紹介したいと思います。
映画『ダンシング・ベートーヴェン』
null革命の音楽家ベートーヴェンが込めた想い
合唱やソリストが入っている“第4楽章”の『歓喜の歌』が第九のコンサートで演奏されることが多いので、第九=歓喜の歌のイメージが強いのですが、第九は実は第1~4楽章に分かれています。ベートーヴェンがこの作品の初稿を創ったのは1824年ごろで、54歳ぐらいのときです。その3年後にベートーヴェンは亡くなっており、この頃にはすでに全聾になっていました。
古代ギリシア哲学、インド哲学やカント哲学にも造詣が深く、リベラルで進歩的な政治思想を信じたベートーヴェンは、自由な世界観の持ち主だったとか。この時代の音楽家は貴族などの権力者にパトロンになってもらい、彼らが好む作曲をするのが一般的でした。しかしベートーヴェンは「音楽家は芸術家だ」と主張し、権力者よりも大衆のために一曲一曲に“メッセージ”を込めて創作したと言われています。
特に、第九の第4楽章はドイツ人詩人/思想家のシラーの詞『歓喜に寄す』に感動して曲をつけたもの。「おお友よ、このような旋律ではない! もっと心地よいものを歌おうではないか もっと喜びに満ち溢れるものを」というベートーヴェン自身の歌詞をシラーのオリジナルに付け加えたのです。
「このような旋律」とは実際の第1~3楽章の音楽性を指しているとも、当時の政治や思想を指しているとも解釈されており、ベートーヴェンの多義的な想いが込められているそう。どちらにせよ、「もっと心地よいものを」「もっと喜びに」と聴くもの皆へ歌いかけるベートーヴェンの言葉には、“人が心をひとつにする”という想いが込められているのではないでしょうか?
世紀の振り付け師ベジャールが第九にかけた想い
nullバレエの巨匠モーリス・ベジャールはバレエダンサーを経て、エトワール・バレエ団や20世紀バレエ団を創設。1950年に立ち上げた20世紀バレエ団が1987年に本拠地をパリからスイスのローザンヌへ移しモーリス・ベジャール・バレエ団として創立されました。ベジャールの振り付けでは『春の祭典』、『ボレロ』や『魔笛』といった作品が有名。映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年)の振り付けもベジャールです。
東洋思想、禅や日本文化、アフリカ文化など世界中の文化に精通したベジャールは独特の宇宙観の持ち主でした。おもしろいことに、第九の1~4楽章を古代ギリシアの「四大元素」として表現しているのだそう。第1楽章は「地」(褐色)、第2楽章は「火」(赤色)、第3楽章は「水」(白色)、第4楽章を「風」(黄色)にたとえ、ダンサーたちはそれぞれの元素をあらわす色の衣装を纏っています。
さらに、この4つの色彩は4つの人種(褐色人種、赤色人種、白人種、黄色人種)と4つの大陸を意味しているのだとか! 作中でも様々な人種と国籍からなるダンサーが円となって腕や手を組み、「人類はみな兄弟」というテーマを踊りで示しています。
映画のなかで、モーリス・ベジャール・バレエ団の芸術監督であるジル・ロマンは、「人種も生まれも違うダンサー80人が手を取り合って踊る――第九は人類に向けて語りかける手段だった」とベジャールの想いを説明しています。
ひとりの女性としての悩み
国境や人種を越えてつながりあうことや異文化へ愛と尊敬の大切さを訴えながら、バレエダンサーがひとりの女性として苦悩する姿も映し出す本作。第2楽章のメインを踊る予定だったモーリス・ベジャール・バレエ団のソリストのカテリーナ・シャルキナは妊娠が発覚し、役を降ろされてしまいます。
出産後の復帰を聞かれて、「先のことは予測できないから日々体当たりするしかない」と答えるカテリーナ。出産・育児でキャリアが中断されるのはどんな職業も同じ。それでも、今やれることをやるしかないと腹をくくり、東京公演に旅立つ仲間を見送る後ろ姿はとても切ない……。
一方、カテリーナの夫で同じくソリストであるオスカー・シャコンは初めて父親になる不安を隠せません。なぜなら、オスカーの父親はほとんど育児に関わらず、父親のロールモデルがいないから。その上、妻は晴れ舞台に立てないのに自分は第4楽章のメインを踊る……。
ダンサーひとりひとりが様々な想いを燃やして踊りにたくす第九は、スクリーンから彼らの魂の叫びが聞こえてきそう!
想いが異なっても団結できる
そして、この映画の案内人として登場するのは、フランス人女優のマリヤ・ロマン。芸術監督のジル・ロマンとバレエダンサーの娘です。生まれたときからバレエの世界に身を置きながらも両親とは違う人生を選択したマリヤ。
マリヤと両親の関係からは子供は親と同等でいて、全く違う別の人格をもった人間なのだと思い知らされます。それでも、それぞれの想いは異なりながらも人は団結できる—―映画内に見る親子やダンサーの生き様から、このようなポジティブなメッセージが受け取れる『ダンシング・ベートーヴェン』。
「SNSでどんなに主張しようとも、我々はとるに足らない存在だ。己と闘いながら生きているだけの存在だ」とジル・ロマン監督は言います。人種、国籍、文化、言葉といった目に見えるものをそぎ落としていくと人間はそう変わらないはず。だからこそ、人生の悦びを一緒に分かち合おうではないか……第九は人間への愛の賛歌なのです。人間愛や人生について普段は考えられない毎日だからこそ、一年の締めくくりに、バレエで第九を観てみませんか?
【作品情報】
ダンシング・ベートーヴェン
振付:モーリス・ベジャール
監督:アランチャ・アギーレ
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『交響曲第9番 ニ短調 作品125』
出演:マリヤ・ロマン、モーリス・ベジャール・バレエ団、東京バ レエ団、ジル・ロマン、ズービン・メータ
配給:シンカ 協力:東京バレエ団/後援:スイス大使館
(c)Fondation Maurice Béjart, 2015 (c)Fondation Béjart Ballet Lausanne, 2015
12月23日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA他にて公開