「やっと、手が届くようになったのに……」
null「僕、前の小さい冷蔵庫のほうがよかった」
と、息子氏(11歳)が言う。新しく届いた大きな冷蔵庫に、彼は不満そうである。
「えー、どうして? いっぱい食材が入るから、便利でいいじゃん」
と私が言うと
「だって、こんなに高かったら冷蔵庫の上にトースター置けないよ」
と、彼は言う。
そして 「やっと、手が届くようになったのに……」
と、小さい声でつぶやくから、ああなるほど、と思った。
これまで使っていた2人家族用の冷蔵庫は、背丈が低くて、その上にトースターを載せていた。最初の頃、彼はそのトースターに手が届かなくて、パンを焼くたびに踏み台を使っていたのだ。
そういえば最近、あの踏み台を見ない。背伸びをすれば、パンを出し入れできるくらいに、彼が成長したということだろう。
離婚をしたとき、冷蔵庫のサイズに迷った。
2人暮らしになるから、そんなに大きなものはいらないよなーと思って、コンパクトなものを選んだのが失敗だった。
当時小学2年生だった彼。誰の子ですか? というくらいすらっとした体型で、食も細いし、そもそも食にあまり興味がない。
ところが、男の子って変わるものなんですね。
大人の一人前をぺろりと食べるようになるまで、あっという間だった。そうなってくると、食事の作りがいもある。あれよこれよと買い出しするうちに、小さな冷蔵庫はいつもぱんぱんになった。
身長もどんどん伸びて、くだんのトースターにも手が届くようになった。彼なりに、ちょっとした達成感があったのだろう。ごめんね、場所、移動しちゃって。
びっくりするのが、靴のサイズ。とくにサッカーシューズは、何度買い換えたことか。
土日は母親の気まぐれに付き合って、全国を飛び回る彼なので、多分、部員の中で一番参加率が低い。それでも、体育館には体育館用のサッカーシューズ、試合には試合用のスパイクシューズが必要だ。体育館用のシューズなどは、2〜3回履いただけでサイズアウトなんてこともある。
新しいサイズのシューズをポチっとするたびに、彼はパソコンをのぞきこんでその値段を確認し
「なんか、ごめんね」
と、言う。
「うん、でもまあ、キミが大きくなってめでたいよ」
と、答える。
サッカーシューズは、まあまあ高い。
「プールだけではつまらない」
そんな彼が、11歳になった。
ちょっと早めの11歳をお祝いしようと、私たちは沖縄に旅行した。昨年、秋に訪れたとき、ホテルのプールから、別のホテルのウォータースライダーが見えたのだけれど、「今度くるときは、あっちに泊まりたい」と言っていたホテルを予約した。
人生は短い。だから、私は旅行で同じエリアを訪れることがほとんどない。「また来たいね」とは言うものの、心のどこかで「もう、来ることはきっとないだろうな」と思っている。
既知の場所より、未知の場所。
再訪よりも、初体験。
だけど、子どもと旅をするようになってから「また、ここに来よう」の約束を、大事にするようになった。
沖縄の北谷で、半年前、彼のご機嫌がよくなったお店にランチに寄った(連載vol.29「受け入れられているという、安心感」)。そして、約束していたウォータースライダーのあるホテルに泊まった。
誤算だったのは、お店のスタッフさんがずいぶん変わったらしく、愛想のよい店員さんがいなくなっていたこと。でも、あのとき食べたうなぎは、その日もとても美味しかった。
もうひとつの誤算は、半年前は、終日プールで泳いでいるだけで嬉しかった息子氏が、「プールだけではつまらない」と言うようになったことだ。
そこで、現地でアクティビティをいくつか申し込んだ。夕日に向かって漕ぐカヤック、海上アスレチック、そして青の洞窟でのシュノーケリング。
2人で相談しながらアクティビティに申し込むのだが、ここでもやはり、彼はパソコンをのぞきこんで値段を確認する。
「なんか、高いけど、大丈夫?」
という彼に
「うん、でもまあ、ママは、キミと一緒に遊ぶために働いているようなもんだから」
と答えると、
ちょっと安心したような表情になる。
シュノーケリングを案内してくれたご夫婦が、息子をずいぶん可愛がってくれた。それで息子も「今度は、ダイビングをしてみたい」などと言う。ご夫妻も、「いいねいいね、またおいで」と言ってくれる。
「キミと同じくらいの年齢で、ライセンスをとった子もいるよ」
と誘われて、まんざらでもないようだ。
また、ここに戻ってくる理由ができた。
「絶対に、リベンジする」
私たちは、沖縄空港で別れた。
彼は、東京に戻り、私は関西出張。羽田空港にはおばあちゃんが迎えにきてくれている。私はしばらく母に彼を預け、そのまま京都に宿を借りて執筆おこもりする予定だった。
この2週間の滞在中に、息子氏の11歳の誕生日がある。
「お誕生日だけは東京に戻るね」と言うと、「いや、僕が京都に行く」と言う。
「前に行ったジップライン、また乗りたい」のだとか。
そうそう。そういえば、今年の2月、まだ雪が残る頃、京都の宿から電車で1時間ほど、琵琶湖が見えるスキー場に行った。そこでジップラインをしたのだ。レールに滑車がついていて、そこにくくりつけられたまま、びゅんと飛んでいくアレである。
冬に行ったときは、3箇所だけの限定コースだったけれど、「雪が溶けたら、また来てください。コースも6箇所あって、もっともっと楽しめますよ」と言われていた。
そのときも
「また来ようね」
と言っていたのだけれど、こんなに早く再訪することになるとは思わなかった。
かくして、晴天でキラキラ輝く琵琶湖を眺めながら、私たちは(おばあちゃんも)、ジップラインを楽しんだ。めちゃくちゃ気持ち良かったし、楽しかったけれど、子どもがいなければきっと、2度も来なかっただろうなと思う。
最後に一番長いコースを飛ぶとき、「最後は2人1組で、スーパーマンのように飛んでもいいですよ」と、言われた。彼は、「やりたい! やりたい!」と盛り上がっていたのだけれど、子ども用のハーネスでは、背中にフックがなくて、両手離しの設定ができないのだという。
インストラクターのお兄さんに
「もっと身長が大きくなって、大人用の装備で遊べるようになったら、また来てね」
と言われた彼は
「絶対にリベンジする」 と言っている。
また、ここに戻ってくる理由ができた。
こうやって、子どもが成長するほどに、親子にとって特別な場所が増えていく。
画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第45回は5月29日(日)に公開予定です
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学5年生の息子と暮らすシングルマザー。