「僕は、しっかり地球を守っているから」
null今日からしばらく出張だ。
朝、早く家を出ようとしたら、ベッドの中にいた息子氏(10歳)が、半分寝ぼけた声で私に声をかけてくる。
「いってらっしゃい。お仕事、頑張ってねー」
ありがとうと返事をすると、「ママが頑張っている間、僕は、しっかり地球を守っているから」と、言う。
布団の中から話しかけてくるので、寝言なのか、本気なのか、ジョークなのか、よくわからない。たしかに、映画の中でも、人知れず地球を守るのはいつだってティーンエイジャーだ、などと思う。
子どもが使う日本語は面白い。
私は文章を書く仕事をしているけれど、子どもが使う言葉のように、ビビッドな言葉はなかなか思いつかない。
先日は、突然LINEに「人生がつまらない」とメッセージがきた。取材中に、ぴこんと、こんな通知がくるとどきっとする。
取材が終わってあわててLINEを開くと「どこか、遊びに行こうよ」と続いていた。春休みになって、時間をもてあましているみたいだ。
一緒にご飯を食べにいった時、唐突に、「人間って、残念な生き物だよね」と言い始めたこともあった。何の話かと思えば、「立ったままトイレできない動物って、襲われたら生き残れないんだよ」と言う。なるほど、たしかに人間は残念な生き物である。キミだって、めちゃくちゃ脆い感じで生まれてきたんだぜ。
かと思ったら、先日は「でも人間は、考える能力を持ってきたから強いよね」って言っておった。
彼の発言のソースはどこにあるのか。想像すると、おもしろい。
「ママ、あの言い方は良くないと思う」
彼に怒られたこともある。
あれは、白川郷に一緒に行った時だった。コロナの影響で学校がしばらくオンラインOKになるというので、すぐに浮かれる我々は、「世界遺産がみたい」とのたまう彼のリクエストで、白川郷に向かった。
旅行といっても、日中はお互い授業と仕事がある。その時は、私があるオンラインセミナーで登壇をしていて、ホテルの部屋から、参加者であるライターさんたちの質問に答え続けていた。
全部終わって(質問が多くて、1時間も延長になった)、「よし、終わった! 遊びに行こう!」と声をかけたときだった。
それまで、ゲームをしていた息子が、「ねえ、ママ、あの言い方は良くないと思う」と、顔もあげずに言った。
「え? 何のこと?」
と聞くと
「ママ、さっき、そんな安い原稿料で仕事を受けちゃダメだよ、って言ってたでしょう」
と言う。
なんだ、聞いていたのか。
「うん。でも、ママは同じ仕事をしている友達が、不当な金額で雇われるのは、ちょっと我慢できない」
と答えると
「でも、その人、その仕事をもうやってるんでしょ」
と、息子は言う。
そう言われて、はっとする。
そうか。たしかに、今、一生懸命頑張っている仕事にケチをつけられたり、自分の担当編集者が不誠実ではないかと指摘されるのは、ストレス以外の何ものでもないよなと、私は反省する。進行中の仕事にあれこれ言われるのは、相手も嫌だろう。逆の立場だったら、私は嫌だ。「次はもう少し交渉できると思いますよ」とか、もっと違う言い方があったはずだ。
すぐに、発言の相手にお詫びのメールを入れた。先方は「気にしていない。むしろ、相場について教えてくれてありがとう」と言ってくれたけれど、でも、私が放った言葉は少なからず彼女を傷つけただろう。なにせ、横で聞いていた他人が、「その言い方はひどい」と思ったくらいなのだ。
「なんか、ごめんね」
大雑把なコミュニケーションをとる私に対して、息子はずいぶん優しいし繊細だな、と思うことが時々ある。
彼がたまに使う言葉に「なんか、ごめんね」という言葉がある。これを発するときの彼の気持ちを想像すると、私は彼をとても愛おしく感じる。
どういう時にくり出される言葉かというと、たとえば私が、サーモン好きの息子のために、それを買って食卓に出した時などに使用される。
「どう? おいしい?」
と聞いたとき、彼は、
「うーん、これ、いつものやつと味が違う。いつもの方が好き」
と言いながら、最後に
「あ、なんか、ごめんね」
と、付け加える。
「サーモンが好物の自分のために買ってきてくれた」ということはわかっているのだろう。だけど、適当な嘘をつくと、次も同じ店で買われてしまう。そんな葛藤が、小さな体の中で起こっていることを想像すると、もう本当に愛おしくてたまらない。
私が好きな服、食事、ドラマ、インテリア。
それについて意見を求められたとき、彼は「いいね。僕も好き」と言うか、「うーん、あんまり好きじゃない。なんか、ごめんね」のどちらかを言う。
こういう優しさは見習いたいな、と思う。
そうだ、ピアノに関してもそうだった。
マンションのお隣さん(だと思う)の家に、どうやらピアノを習い始めた子どもがいるらしい。「らしい」というのは、入居以来入れ替わり立ち替わりのあるマンションのご近所さんとは、会釈をする程度で、会話をしてこなかったからだ。
まだ習い立てなのだろう。何度も何度も曲をやり直す音が聴こえる。私は、ピアノの音が鳴るたびに、「うーん、これがあと何年続くのかな」と思ってしまう。
でもある時、息子がこんなことを言った。
「ねえママ、隣のお部屋からピアノの音が聴こえるの、気づいてた?」
と、彼。
「うん、気づいていた」
続けて、「あれ、気になるよね」とつけたそうとした瞬間、
「あれ、いいよね。僕、あれを聴いていると、癒されるよ」
と、言うので、慌てて出かかった言葉をのみこんだ。
「そうか、息子氏は、ピアノの音が好きなのね」
と言うと
「うん、何度もつっかえていたところが弾けるようになってるの、すごいよね」
と答えるから、懺悔した。
神様、すみません。何度もつっかえるのを聞きながら、イライラしていた私のことをお許しください。アーメン。
いやはや、もちろん、彼の言葉がいつも、私にとって耳に優しいわけではない。
生意気も言うし、そりゃ詭弁だろと思うこともあるし、ムカつくこともある。いや、めっちゃよく、ある。
でも、彼との会話で、目が行き届かなかった世界を見ることもある。
私は、彼の小さき声を聴くのが好きだ。
画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第42回4月17日(日)に公開予定です
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学4年生の息子と暮らすシングルマザー。