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偉大なものは世界をひとつにする【ママはキミと一緒にオトナになる#40】

コラムニスト・ライターとして活躍する佐藤友美(さとゆみ)さんが、10歳の息子との会話を通して見えてきた新しい景色、新たな気づきなどを伝えてくれる連載エッセイの第40回。

ロシア人はおせっかいで、人なつこい

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ライターの友人が、春からロシアで働くという。
何度もチームを組んできた仲なので、彼女が日本からいなくなってしまうのは寂しい。けれども、20代の頃に住んだロシアにいつか戻りたいというのは彼女からずっと聞いていたし、コロナ禍でも就職準備をしていた彼女を、さすがだと思った。

ウラジオストクであれば、成田から飛行機で2時間半。韓国と同じくらい近い国だと知って驚いた。
きっと遊びに行くねと伝えると、ロシア人は、すごくおせっかいで人なつこいですよと彼女は言う。

スーパーで野菜売り場を聞くと、店員さんがその場所まで連れて行き良い野菜の見分け方まで教えてくれる。こういった親切は日常茶飯事で、かつて卒業旅行で訪れたときには、見知らぬ日本人グループのために、一日ガイドをかって案内してくれた人もいたらしい。もちろん、無料で。

「でも、ロシア人って、人なつこいイメージないけれど」
と私が言うと
「ロシア人は、人の話を真顔で聞くことが誠実さの証しだと思っているんです。だから一見、とっつきにくく見えるけれど、それだけ真剣に話を聞いているよということなんですよ」

ボリショイ劇場に「椿姫」を観に行ったときは、幕間におばあちゃんから声をかけられたそうだ。
「あなたはどこの国からきたの? この作品は気に入った? ぜひ原作も読んでね。これは、もともとフランスの作品なのだけれど、アメリカ出身の振付師が作ったバレエを、ロシア人が踊って、こうやって満員の劇場の中には、あなたのような日本人もいる。偉大なものは世界をひとつにするのよ」
と。
おばあちゃんは、その日誕生日だったらしい。そして誕生日には毎年必ず劇場に足を運ぶのだと。

「偉大なものは世界をひとつにする」

その言葉は、それからもずっと彼女を支え続けたし、彼女がコロナ禍でもロシア行きを諦めなかった理由でもあった。

ところが。

彼女がロシアに飛ぼうとした直前、フライトがキャンセルされた。
戦争が始まったのだ。

どこかおかしいと思っている。でも…

本当なら彼女がロシア行きの飛行機に乗っていたはずの日、私たちは、モルドバのワインが飲める店で会う約束をした。
モルドバは、ウクライナに隣接した小さな国だということを、私ははじめて知った。店の中にある世界地図を見ていると、「いま、モルドバのワイナリーの人たちは、仕事を休んで難民の受け入れに全力を尽くしているんです」と店員の方が教えてくれた。

国境を超え、安全な場所にたどり着けた家族は、しかし父親だけ闘うためにウクライナに戻るのだという。離れ離れになる家族に、ボランティアから最初に渡されるのはSIMカード。
このカードが家族をつなぐ、文字通りの生命線となる。

私より先に店についていた彼女は、オレンジ色のワインを飲んでいた。私は、彼女がいまどんなことを考えているのか知りたくて、いろんな質問をした。

この先、どうするの?
今、ロシアに住んでいるあなたの友人たちはどんな感じ?

彼女は答える。
「ウクライナに親戚が住んでいるロシア人も多いんです。もちろん、侵略は許されることではないです。でも、今回の戦争がロシア人全員の総意でもないと思うんです」

そんな話をしていたら、ワインを注いでくれた女性に話しかけられた。

「お客様、ちょっといいですか」

流暢な日本語を話すその女性は、瞳の色が青い。

「私は、ロシア人です。私の両親と弟はいま、ロシアにいます。でも、私のいとこたちはみな、ウクライナにいます。お客様たちが、この戦争はロシア人全員の気持ちじゃないと話してくれたこと、とても嬉しく思います」

彼女の名前は、マリアと言った。ご主人は日本人で、高校生の娘がいるという。
彼女のいとこたちが住むエリアは、まさに産科病院が爆撃されたと報道があった土地だ。1人は昨日やっと連絡がついたけれど、残り3人とはまだ連絡がつかない。
「心のどこかで、私も覚悟を決めているところがあります」
マリアは、そう言った。

ロシアに住む両親ももちろん、ウクライナにいる自分のきょうだいや甥姪たちの安否を心配している。両親の周りの人たちも心配してくれる。けれども、その人たちは「はやくロシアに逃げてくる手筈を整えてあげて」と言うのだそうだ。
ロシアの国営放送では、「我々はウクライナ人を助けるために、道を作っている」と報道されているので、それを信じる年配の人々は、あなたの親戚もロシアに避難してくれば安全だと考えている。

「私は日本で情報を得ることができるから、両親にいま、世界じゅうがロシアをどう見ているかを話します。だから両親も、どこかおかしいと思っている。でも、それを国内で口には出せない」

私はマリアに聞いた。
「ねえ、もしもいとこと電話が通じたら、マリアはなんて言うの? 西に逃げてって言う? 東に逃げてって言う?」

マリアは即答する
「もちろん、西です」

この戦争が終わったときには…

どうしてこんなことになってしまったのか、とマリアは長い睫毛を伏せる。

「ロシアには世界に誇れるものがあります。バレエがあります。芸術があります。Googleの創立者の一人もロシア出身です。どうして、それを誇るだけじゃいけないの? 核のボタンを持っていることよりも、アメリカ人と一緒にGoogleを作れたことを、誇りに思えたほうがずっと良いのに」

ロシアにいる弟さんとは話せている? と聞くと、はい。でもいつも喧嘩になりますと、マリアは答える。
弟も、自分が住んでいる国がおかしいことをしているのは、うっすらわかっているんです。でも、話がそこに及ぶと、「だけど、あいつがボタンを持っている限り仕方ないだろう」と言うんです。自分たちにできることは、何もないと。自分の住む国を信じられないことは、とても悲しいことです。

彼女は私たちに、こう言った。
「日本の人たちがウクライナに支援してくれているのを知っています。ウクライナは世界中の人たちの力を借りて、助かってほしいと思います。でも、この戦争が終わったとき、きっとロシアも、本当の意味で、世界中の人たちの助けを必要とすると思います」

ここに来なければ知らなかったことを知った。
私たち二人は、しばらく、無言でお酒を飲んだ。モルドバのワインは、クリアなのに味が深い。

帰り際、私はどうしても気になっていたことを、マリアに聞いた。「ねえ、マリア。マリアの娘さんは、学校でいじめられたりしていない? 辛い思いをしていない?」
ロシア料理の店が嫌がらせを受けたり、日本に住むロシア人が差別行為にあっているという報道を見たからだ。

するとマリアはこう答えた。
「彼女は、まったく辛い思いをしていません。今回のことが心配で、私は『母親はロシア人ではないと言ってよい』と、彼女に伝えました。でも、彼女はそのような必要はまったくないと言うのです。日本人の友達は、そういうことを絶対にしないと。彼女は、それをまったく疑っていません」

その話を聞いて、私はもう、膝から崩れ落ちそうになった。
15歳の少女たちの間で築かれている信頼関係を、どうすれば私たち大人の間に築くことができるのだろう。

帰り道、友人がロシアでいま共有されているハッシュタグを教えてくれた。
#нетвойне
戦争反対を意味するハッシュタグだそうだ。

 

画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉

◼︎連載・第41回4月3日(日)に公開予定です


佐藤友美(さとゆみ)

ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学4年生の息子と暮らすシングルマザー。

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