そのため、うまく手を抜くことは大切な“子育て戦略”となるのですが、「家事と育児には、手間と暇をかけて」と無言で説かれてきた現役子育て世代にとって、しばしば“手抜き”や“ズボラ”に罪悪感を伴うこともあるようです。
そこで今回は、子育て世代の“ズボラ”が子どもの成長において思いのほか良い影響を与えた経験について、子どもがいる女性(20~50代)183人にアンケートを実施。
個々のライフスタイルそのまま当てはめられるものではないと思いますが、ちょっと心がほぐれる“ズボラ”が功を奏したエピソードをご紹介していきます。
「先回りしない育児」につながったケースも
nullまずは、幼児期を過ぎてある程度成長した子どもたちが親の“苦手”を補うべく、自主的に動き出したケースです。
「忘れっぽい親を持つので、忘れないように子どもたちがしっかりメモをしてくれます」(45歳・企画・マーケティング)
「裁縫ができないから、子どもが家庭科の宿題を必死にやる」(43歳・主婦)
「裁縫がちょっと苦手なのですが、子どもが自分で巾着袋を作ったりするのが得意なようです」(46歳・その他)
「朝早起きできないことが時々あったので、何度か子どもが遅刻しかけた。子どもは自分で目覚ましをかけて起きるようになった」(53歳・主婦)
「朝寝坊を何回かしたせいか、上の子は、ちゃんと自分で起きるようになりました」(56歳・主婦)
「ごみ捨ての時間に遅れることが多かった。子どもが出してくれた」(41歳・総務・人事・事務)
「物覚えが悪い私に代わって、子ども達が代わりに覚えてくれます。『昨日味噌がないって言ってたよ!』と、スーパーで教えてくれたり『明日は水着が必要だからお願いね!』など、私がすぐ忘れてしまうことを覚えてくれています」(38歳・主婦)
近年、ヘリコプターのように子どもの近くにピタリとついて過度に干渉し続ける親を指す“ヘリコプターペアレント”という言葉が認知されつつあります。ネガティブな意味で使われていますが、じつは、ホバリングしながら飛び続けるのってものすごくエネルギーを要するんですよね……。
今回の回答は、親自身が意図せずエンジンを切って“着陸状態”にあったことで、子どもが自ら動き出した良い例だと言えそうです。
親の見守りが必要な乳幼児期を過ぎ、学童期に入ると、子ども自身ができることが増えてきそうですね。
どちらに転ぶ…?「整理整頓」「掃除」エピソード
null続いて、掃除や整理整頓のエピソードです。
「掃除が苦手で部屋が散らかりぎみだったが、子どもは自分で片付けないとだめだと気づいて、工夫を重ねて整理整頓が得意になった」(47歳・公務員)
「掃除機をかけていなくて汚かったとき、たまりかねて、子どもが掃除をしたこと。自分から掃除をすることは大切だと思う。練習も必要だと思う」(44歳・主婦)
「自分があまり整理整頓しない机の上の整理を長男がするようになったこと」(40歳・主婦)
このように、親自身が掃除ができない時期が続いたときに、子どもが機転をきかせて掃除をしてくれるようになった例もありました。
一方で、正反対の声もありました。常に散らかった状態が続き、子どもがそれに慣れてしまったという声もあったのです。
「私が掃除や片付けが苦手で、娘もやりません。いい事なんかひとつもありません」(50歳・主婦)
「掃除が苦手で、子どもたちもなんとなく散らかっている状態に馴染んでしまった。落ち着くと言っている」(51歳・主婦)
理想的な“ズボラ分量”の見極めって本当に難しいですね。
毎回手作り料理はできなかったけど、子どもが「料理上手」に
null次は子どもが料理上手になっていたという声です。
「仕事をしていたので食事は結構手抜きがち。知らない間に簡単な料理は自分で作れるようになっていた」(59歳・主婦)
「日曜朝は母が朝食を用意することはないので、子どもだけで料理と片付けできるようになった」(38歳・営業・販売)
「料理したくないなぁと思ってると、味噌汁とか作ってくれる」(48歳・その他)
「仕事、仕事で家事をほぼ母にまかせ、家庭をなかなか省みることの少なかった私は、ほとんど料理をしていない。子どものほうが本格的でおいしい料理を作るようになりました」(43歳・営業・販売)
このように、子ども自身が必要に駆られて料理スキルを磨いていたケースがありました。
筆者が思うに、多少台所が散らかっても、ダイコンが生煮えでも、炊きあがった米が柔らかくても、親自身もあまり気にせずにトライさせ続けたおおらかさも功を奏したのではないでしょうか。
以上、親の“ズボラ”“手抜き”が思いのほか子どもに良い影響を与えたエピソードをご紹介しました。
ちなみに、今回のアンケートではこんな声もありました。
「ズボラじゃないからズボラになりたい」(43歳・その他)
言葉の本来の意味をふまえると、“ズボラ”とは “なるもの”ではなく“なってしまうもの”。手を抜かずにやるべきことをやり続けられることは、それはそれで素晴らしいことです。
でも、家事と育児の日々に疲れたら、“いつもより手抜きになってしまった自分”を認めてあげることも大切なのかもしれません。