「ママは自分でどう思うの?」
null久しぶりに、リアルでの講演会が入った。
昨年買って以来一度も出番のなかったワンピースに袖を通し、息子氏( 9歳)に「この服、どう思う?」と聞く。
彼は
「うん、すごくいいと思うよ」
と言ったあと
「でも……」
と、続けた。
「でも?」
「ママは自分でどう思うの?」
「うん、ママもこのワンピース、すごく気に入っているよ」
そう答えると、彼は「じゃあ、いいと思う」とにっこり笑う。
そして、
「自分が気に入ってるのが、一番大事だと思う。人がどう思うかは、相手次第でわからないからさ」
と、言った。
私は、その大人びた言葉に、少し驚きながら
「たしかに、その通りだね。相手がどう思うかなんて、わからないものね。自分が気に入った服を着るのが一番だね」
と答え、彼にお礼を言って、家を出た。
久しぶりに乗る新幹線は、ずいぶん乗車率が低い。
「人の感想はわからない。だったら自分の気持ちを優先したほうがいい」
シートにもたれながら、朝の会話を思い出す。意外とあとからじわじわくる言葉だ。彼はどこでそんな考え方を手に入れたのだろう。
そこまで思いをめぐらせて、はっとする。
彼が今日私に伝えてくれたことは、彼が生まれてすぐ、最初に決めたルールだったなあと思い出したからだ。
「自分のために、する」
子どもが生まれて初めて知ったのだけれど、出産や子育てをめぐるシーンには、多くの「すべき」が満ちていた。
お腹を痛めて産むべき。
カンガルーケアをすべき。
なるべく母乳で育てるべき。
3歳まで母子は一緒にいるべき。
いやむしろ、保育園で多様性を身につけるべき。
世の中って、こんなに非寛容だったっけ? 子育てに物を申したい人が、ここまでたくさんいるんだということに驚いた。
SNSを見ていても、「そんなことしたら、子どもがかわいそう」だの「母親としての自覚はないんですか?」だの、見知らぬ人が見知らぬ人に物を申している。
あー、これ、早めに基本方針を決めないと、ヤラれるやつだなあと思った。
私はわりとメンタルが安定している方だけれど、とはいえ産後の自分は、いつもとはホルモンバランスが違う。
こんな発信にいちいち右往左往していたら、心が疲れてしまう。
そう思った私は、夫とも話し合って、ひとつ、ルールを決めた。
それは、あらゆる判断を「自分(たち)のために、する」ということだ。
正直なところ、「子どものため」って、全然よくわからないなーって思っていた。
「子どものために幼稚園がいい」
「子どものために保育園がいい」
と考えたとして、それが“本当に”よかったかどうかなんて、いつわかるんだろう。“子どものためになった”かどうかなんて、誰が判断できるんだろうか。
そんなあやふやで、検証もコントロールもできない「子どものため」に縛られるくらいなら、もっとわかりやすい「自分(たち)のため」を優先しようと思った。
「自分(たち)が、そうしたかったから、幼稚園に入れた」
「自分(たち)が、そうしたかったから、保育園に入れた」
であれば、すっきりわかりやすい。
そう考えたら、ずいぶんと気が楽になった。
息子氏がはっきりと意志表示をできるようになるまでの間、私たち夫婦は「子どものため」ではなく「自分たちのため」で、そのときどきの方針を決めてきた。
「あなたのご感想はそっちなんですね」
子育てに関して人を批判する言葉には、ほとんどの場合、主語がない。
「子どもがかわいそう」という言葉は、一見すると、「子ども」が主語のように感じてしまう。だから、主体性のある子どもの自由を奪っているのだろうか? といった罪悪感を刺激されてしまう。
でも、違うのだ。
「子どもがかわいそう」
という言葉は、世の中を代表して話しているような大げささだけれども、実のところ
「(発言者である)私は、子どもがかわいそうだと感じた」
というだけのことだ。
「母親としての自覚はないんですか?」
という言葉も同じ。
「私は、母親としての自覚はないのだろうかという感想を持った」
というだけの話だ。
そう考えれば、自分と違う意見を読んだり、批判されたり、からまれたりしたとしても
「ああ、あなたのご感想はそっちなんですね」
と、自分と切り離すことができる。
「私にはわからないです」
新幹線が名古屋を超えたあたりで、お手洗いに立った。そういえば、この狭い個室で、ずいぶんと搾乳をしたなあと思い出す。
子どもが生まれてからも、毎週のように出張をしていた。
うちの子はほとんどミルクで育っているけれど、母乳もキープしたかったので、出張中は乳腺炎にならないように、何度も搾乳していた。
一度だけ、講演先で
「小さなお子さんを家に置いて、出張するなんて、かわいそうだと思わないんですか」 と、言われたことがある。
「彼が、かわいそうかどうかは、私にはわからないです」
と、答えたと思う。
その人は、もう少し、何か言いたそうだったけれど、その次の会話の記憶はない。彼女はいま、どうしているだろう。
新幹線の中で、しばらく、彼女のことを思い出していた。
今となっては、そう言いたくなってしまうような事情が、彼女のほうにあったのだろうなと思うことができる。
子育てをするには、too hardな世界に、私たちは生きているなと思う。
少しセンチメンタルな気持ちになっていたら、LINEがなった。
「おみやげ、京都のおかし、よろしくです。おしごと、がんばってね」
と、書かれている。
心の中に“八ツ橋”とメモをして、気持ちを切り替える。 今日も楽しい一日にしようと、思う。
タイトル画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第14回は2月28日(日)に公開予定です
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学3年生の息子と暮らすシングルマザー。