新しいSNS「Clubhouse」に入ってみたら…
nullClubhouseという音声SNSの招待をもらいました。この1週間で爆発的にユーザーが増えているようです。
アプリをダウンロードして、中に入ると、知り合いたちが「ルーム」と呼ばれる部屋で、いろんなおしゃべりをしている。
リスナーとして「ルーム」に入ると、私のアイコンがルームに表示される。おしゃべりしている友人たちに、「あ、さとゆみさん、きた〜」と声をかけられ、スピーカー側にしてもらうこともできる。
たった半日くらいの間に、1年ぶり、2年ぶりにおしゃべりした人が20人くらいいた。
話すのに飽きたら、またねーといってルームを出る。また知り合いがいるルームを見つけて、お邪魔する。なんだか、居酒屋のはしごみたいだ。
顔が見えないのが気軽でいい。すっぴんでもいいし、お風呂の中でもいい。ついつい夜中の2時まで、旧友を見つけては「久しぶり〜」とおしゃべりをしていた。たいした時間泥棒だ。
今は、1人につき2名までしか招待できないようになっているけれど、ユーザーが爆発的に増えていったら、ママ友との付き合い方も変わるかもしれない。
朝ご飯をつくりながら、「今日の図工の授業って、絵の具を持たせるんだっけ?」みたいな会話も日常になるかもしれない。
井戸端会議的なおしゃべりだけじゃなくて、ちょっとしたトークイベントっぽいルームもある。
著名な人たちが、「こんな時代の子育てについて」とか「今日のニュースについて語ろう」とか、そんなトピックを立てている。そういう時は、ラジオのように聞いている。
SNSの投稿が連れてくるもの
「編集とライターについて、ゆるく語ろう」というルームがあったので入ったら、「自分が書いた原稿が炎上したらどうするか?」「読者さんにからまれた時、どんなふうにメンタルを保つか」というトークをしていた。
ジェンダーや、子育て、政治などについて書いた時に、意見が紛糾することは、ままある。私も経験したことがある。
もう少し書き方を工夫できたら、誰かに不快な思いをさせたり、意図しない方向にとられることもなかったかもと、反省することもある。
でも、お子さんがいらっしゃる女性のスピーカーの方が、
「ちょっと高価な電子機器を買ったと書いたら、読者の人から『そんな金があるなら、子どもに着せているユニクロの服をどうにかしろ。かわいそうだと思わないのか』とからまれた」
と話していたことに関しては、一同、
「ああ、もうそれは、受け手側の問題だよね」
と溜息をつくしかなかった。
アイドルや俳優さんのインタビュー記事をよく書くライターさんは、
「自分の選んだ言葉ひとつで、タレントさんがバッシングされる可能性があるから、本当に気をつけて書いている」
と言っていた。
フェミニズムに関しての原稿が多いライターさんは
「批判コメントは常なので、いつも、誰かが病んでいる。だから犬ぞりみたいに、その時メンタルが大丈夫な人が書いて、辛い人は少し休んでと、交代交代で落ち込むようにしてる」
と言っていた。厳しい職業だ。
SNSが連れてくるのは、そういうわかりやすい誹謗中傷だけではない。
知り合いの投稿に、心をざわざわさせてしまった経験は、誰にでもあると思う。
ルームでの話を聞いていて、そういえば、と息子の言葉を思い出した。
自慢ばなし、と妬ましい気持ち
あれは、学校からの帰り道だったと思う。
息子氏(9歳)が、唐突に
「ママは、自慢する人はきらい?」
と聞いていた。
「自慢? たとえば、どんな自慢?」
と聞き返すと
「たとえば、家族で一緒にアメリカに行ったときの話とか」
ああ、そういうことか。
「ううん。全然。ママは、どっちかというと、そういう話を聞くのが好き。きらいじゃないよ」
と答えると、彼は、ぱっと顔を明るくする。
「そっか! よかった。ぼくもそうなんだよね」
という。
「ぼくも、自分が知らない話を教えてもらえるの、すごく好きなんだ。でも、友だちの中には『自慢するなよ〜』って言う人もいるんだよね」
あー、なるほど。
「同じ話を聞いても、おもしろいって思ったり、自慢だって思ったりする人がいるんだね。どうしてかなあ」
「んー、わかんないや」
「息子氏は、『この人、自慢してる!』って思うこと、ないの?」
「あ、でも、いつも威張っている人が話していたら、自慢って思うかも」
「そうかそうか。じゃあ、話している内容じゃなくて、誰が話しているかがポイントなのかな」
「あー、そうか。そうかもしれない」
子どもの社会は、つくづく大人社会の縮図だ。
「ママの意見も、言っていい?」
「はい、どうぞ」
「ママは、自分とその人を比べて、ねたましい気持ちになっている時は『自慢だなあー』って思うかもしれない」
「ねたましいって何?」
「嫉妬ってわかる?」
「浮気のこと?」
「ちょっと違うな。誰かのことを、うらやましいけど、悔しいって思う感じ」
「うーん……」
「まだ、よくわからないかあ。ママはね、自分と人を比べて嫉妬の気持ちがあるときに、いやだなあと思ったり、自慢するなよって思ったりするかも」
「へええ」
「だから、話している人の問題というよりは、聞いている人の問題のことも多いと思うの」
「……うーん。ごめん。ちょっとよくわからない」
「そっか、わからないか」
その話は、そこで終わった。
今回、ライターさんたちの話を聞いていて思い出したのは、この会話だった。
選ばなかったほうの道
私たちは、おおむね、恵まれた時代に生きていると思う。戦争はない。学校にも行ける。一応男女同権だ。
でも……。
家を継げ。見合いしろ。子どもを産め。
そう言われた時代と違って、自分で自分の道を選びやすくなったからこそ、どうしても「選ばなかったほうの道」が、いつまでも気になってしまう。
私の選択は合っていたのだろうか、どうだろうか。そう思ってしまうのは、「押しつけられた」のではなく、自分で「選んだ」からだ。
「あのとき、転職しなければ……」
「あのとき、転職しておけば……」
「あのとき、結婚しなければ……」
「あのとき、結婚しておけば……」
それに加えて、SNSが、嫌でも知り合いの今を見せつけてくる。自分が選ばなかった方の道を選んだ知り合いが、幸せそうに見えることもある。
これほどまでに、「自分と人を比べやすく」なった時代もないだろう。
そんな時代に、私たちの子どもたちは生きていく。
できれば、友達のアメリカ旅行の話を、「おもしろいなあ。もっと聞かせてほしいなあ」と感じる心のまま、大きくなってくれたら素敵だなあと思う。
でもそのために必要なのは、友達と同じくらい裕福な生活をさせることではないように、思う。
時には、自分と人を比べて悔しい思いをすることも、大事なように思う。
いま、大きな宿題をもらったような気がしている。
タイトル画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第13回は2月14日(日)に公開予定です
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学3年生の息子と暮らすシングルマザー。