時事ネタに精通し、わかりやすく、かつコミカルにニュースを解説できる芸人として、現在、ラジオやテレビのレギュラー出演、雑誌での連載と、幅広く活躍されているプチ鹿島さん。
これまでなかった仕事の作り出し方や、楽しい情報収集術についてお届けします!
すべての芸人は時事芸人であることを踏まえつつ、切り開いた「新ジャンル」とは?
――もともと“時事芸人”というジャンルはなかったと思いますが、なぜ時事芸人になったのでしょうか。
プチ鹿島(プチ鹿島):そもそも僕は、すべての芸人が時事芸人だと思っています。
ラジオやテレビで芸人が「今日あったできごと」というテーマでおもしろおかしく話をしますが、それは、時事ネタとは切っても切り離せないことだと思うんですよ。
僕の場合は、その部分をさらに深めて、新聞や雑誌の読み比べをして、そこから面白いネタを見つけて執筆したり、ラジオでしゃべったりしていたんです。たしか編集者の方が時事芸人と付けてくれて、TBSラジオの『荒川強啓 デイ・キャッチ!』という番組で広く紹介されまして。それが、時事芸人を名乗るようになったきっかけです。最初は「自分が時事芸人って名乗ってもいいのかよ」と自意識が邪魔をしたんですが、周りがそう言ってくれるなら素直にありがたがろうと。
――なぜ今の鹿島さんのスタイルになったのでしょうか?
鹿島:もともと僕はピン芸人ではなく、コンビを組んでいて、“バカキャラ”の相方を調教していくという芸風で単独ライブを開催したりしていました。 ところが、ある日突然、相方が「パイロットになりたい」と言い出しまして……。必死で引き留めたのですが受け入れられず、1人ぼっちになってしまいました。
僕は、その時点でもう30代半ばなわけですよ。それまで、新聞社説の読み比べやスポーツ新聞の購読にいたるまで、時事ネタ全般が好きだったのですが、芸風と異なるので、ネタで披露することはありませんでした。
しかし、「この追い詰められた状況では芸風にこだわっている暇はない! おもしろいと思ったことを発信していこう」と思いたち、しゃべることと書くことが得意だったので、知人が開設してくれたブログ上で新聞社説のパロディやコラムを執筆するようになりました。
仕事につながるかわからなくても、“素振り”をコツコツと続けて基礎体力を養う
――以前、深夜のラジオ番組で当時の心境を野球に例え、「お金をもらっているわけでもないのに、やっていることは素振りみたいなものだった」と話していましたが、何がモチベーションだったのですか?
鹿島:今考えると笑っちゃいますが、将来に連載を多数抱えてお金をもらうようになって、「ネタがない!」と行き詰まるところまで想定していました。
だからトレーニングしておこうと。「誰も読んでいなくてもいいから、週に2~3本は執筆する」ということを、義務のように自分に課していたのです。
追い詰められて発信し続けた当時の経験が、今に生かされていると思います。実際に現在、多数の連載を抱えていられるのも、当時、誰に読まれるかわからなくても、書きたいものがなくても、書き続けていたからだと思います。
やはり、あのとき、崖っぷちで「もうやるしかなかった」からできたんでしょうね。今は、しゃべることと書くことが融合してきて、1本につながってきたと感じています。
以上、プチ鹿島さんが新しい仕事を作り出した経緯でしたが、いかがでしょうか。
“時事ネタ”と“笑い”という2つの領域を融合させ、時事芸人と呼ばれるようになったプチ鹿島さん。
新刊『芸人式新聞の読み方』では、SMAP解散報道の各誌の記事から浮かび上がる報道する側のスタンスや、国際情勢とゴシップニュースとの共通点など、毎日のニュースの“味わい方”が、たっぷり堪能できます。
後編では、時事芸人・プチ鹿島さんにニュース、特に新聞との付き合い方をうかがいます!
【書籍情報】
【取材協力】
※ プチ鹿島(ぷちかしま)・・・1970年長野県生まれ。スポーツからカルチャー、政治まで幅広いジャンルをウォッチする「時事芸人」として、ラジオ、雑誌等で活躍。著書に『教養としてのプロレス』、『東京ポッド許可局』(共著)がある。オフィス北野所属。
2017/3/15 BizLady掲載