海外でいつかは仕事をしてみたいという夢はあったのですが、なかなか新卒の会社ではチャンスが巡ってこなくて。自分でチャレンジしたく、skypeで面接を受けた上で、サンフランシスコの広告会社に内定、渡米しました。ちょうど社会人生活6年目の時、28歳のことでした。
30歳を前にして、このままでいいんだろうかというモヤモヤとした気持ち、さらには年齢のことも思ったときに「何か変化を起こすなら今しかない。今なら失敗しても戻れるし」と。でもいざ、アメリカにわたってみると、社会人でMBAを取得したり、ママでもステップアップし続けたりする人がいて、本当はチャレンジに年齢は関係ない…ということを今では実感しています。
最初にアメリカで入社したのは、地元の広告代理店でした。ビジネス英語や商習慣、人へのアプローチや、プレゼン方法など、日本の会社との違いを痛感しました。英語も一生懸命でした。
じつは私、日本生まれ日本育ちなんです。もちろん大学でも勉強していたのですが、やはり仕事をしてみると大違い。アメリカに渡った当時自分の英語のできなさに本当にショックを受けて。わからないフレーズがあったりしたらこっそり携帯電話にメモしたりしていたのも思い出です。
そんな中、仕事にも英語にも慣れてきたときに、ふと思ったのが、周りのネイティブの人と競おうとしても負けてしまうということ。日本の会社でテクノロジーを学び、今のアメリカの会社で広告を学んだ自分。強みやこれまでのキャリアを生かすには、何が向いているんだろうと探すようになりました。
そんなとき、SHOPSTYLEのマネージャーの仕事に目が留まったのです。
30歳の誕生日、5時間のプレゼンテーションでキャリアの扉を自分で開く
null当時のSHOPSTYLEは、業界でも話題の急成長のIT企業。創業者のシュガー夫妻も時の人となるなど、すでに注目の存在でした。この会社に入りたいという人も多かったのではないかと思います。
SHOPSTYLEの面接の場は、プレゼンテーションの場になりました。言われてもいなかったのですが、「私ならこれからのSHOPSTYLEをどうするか」を提示しました。そうすると、きっと、私を雇うことへのイメージが、面接してくださる側にも湧くと思ったのです。まだその時英語に100パーセントの自信は無かったのですが、ならば他に私ならではのできることを見せようと思いました。
日本のファッション雑誌を持ち込んだりして、どれだけ日本のマーケットを知っているかなどをアピール。具体的に、入社したならば何ができるかを5時間かけてプレゼンしたんです。
その日は折しも私の30歳の誕生日。20代最後の夢が海外で働くということでした。そして、その夢が叶った次は、30代最初の夢=“アメリカでキャリアを築く”ということにチャレンジしました。扉は開けようとした人にしか開かれません。
自分がアクションを起こさないとチャンスはこない。一回自分をリセットして、アメリカで厳しい環境に身をおいたからこそ、自分がどういう人間で何がしたいかを見つめ直すことができたのかもしれません。
置かれた環境はそれぞれかと思いますが、皆さんも、自分の強みや夢をぜひ前向きに生かして、キャリアの扉を開いてみてください。
【筆者】メイウッド飛春(めいうっど・ひばる)
2006年明治学院大学を卒業後、Linkshare Japan株式会社(旧・株式会社トラフィックゲート)に入社。ファッションや美容関係のオンラインマーケティングに関わる。2011年単身渡米。2014年、アメリカのファッションサイトを代表するPOPSUGAR Inc.に入社。世界的規模のECサイトSHOPSTYLE日本版を担当。マーケティング・ビジネスディベロップメントを主に担当するかたわら、自らコンテンツ制作やエディターも兼任。外資系ビジネスの中にあって、日本市場に向けたローカライズを行っている。
【撮影】小倉雄一郎(本誌)
2015/10/29 BizLady掲載