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ドラマ「海のはじまり」を誰の目線で観るか?人知れず嗚咽したことのある女たちの共感

2022年に放送され話題となったドラマ『silent』(フジ)、そのスタッフが再集結して制作しているのが月9枠の『海のはじまり』(フジテレビ系)。淡々と、言葉と風景で丁寧につくられた世界観は、ついつい引き込まれてしまいます。

独自視点のTV番組評とオリジナルイラストが人気のコラムニスト・吉田潮さんに、その見どころポイントをうかがいました。

この夏のフジは「産む」「産まない」キャンペーン中!?

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今期、フジテレビでは「夏の“産む・産まない”キャンペーン」を展開しているかのごとく、望まない妊娠を題材に盛り込んだドラマが多い。未成年で妊娠した子、真剣交際で妊娠した女、援助交際で妊娠した女、産む・産まないの選択肢でどちらを選んでも誠を尽くすと誓う男、現実的に誠実な対応をしたつもりの男、全力で逃げた男……若者の気が緩みがちな夏に「避妊の重要性」を訴求。新たな「夏ドラマの定義」として、いいと思う。

その中でも、初回からわりと深く、胸の奥をえぐってきたのが『海のはじまり』だ。青い空に青い海、美男美女が繰り広げる、爽やかでトンチキなラブストーリー、ではない。中身が重すぎて「ホラー」という声も散見された。え? そうなの? 皆さんがホラー要素をどこで感じたのだろうかと、気になった。おそらく、このドラマを誰の目線・誰の立場で観るかによって、ラブストーリーにもファミリードラマにもホラーにもサイコサスペンスにも感じるのではないかと。

元カノの訃報によって知らされた、自分の子どもの存在

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主人公・月岡夏(目黒蓮)は印刷会社勤務。ある日、大学時代の元恋人が亡くなったと知らされる。その彼女、南雲水季(古川琴音)とは別れてから8年。葬儀に出向くと、水季はシングルマザーで6歳の女の子がいたことを知る。名前は海ちゃん(泉谷星奈)。まさかとは思ったが、海はなんと夏の子どもだった。

水季は大学在学中に妊娠、中絶すると決めてから夏に報告。夏は腑に落ちないまま、人工妊娠中絶の同意書にサインした過去がある。その後、水季は大学を辞めてしまう。水季の本心も本当の理由もわからないまま、電話1本で一方的に別れを告げられたのだった。姿を消して中絶したとばかり思っていた夏は、何もできなかった自分を悔いていたし、「ずっと自分が殺したんだと思っていた」と罪の意識をもっていた。

確かに、夏の目線でとらえるならば、元カノから何も知らされず、自分との子どもを産んでいたことや、その元カノは子宮頸がんで早逝したこと、それらを元カノの母親・朱音(大竹しのぶ)から恨み節をこめて聞かされるなど、おそろしいことかもしれない。まさに青天の霹靂で、一種のホラーと言えなくもない。朱音が淡々と、でも確実に痛いところを突く質問でなかば詰ってきたときには、ホラー感はあった。突然叩きつけられた無責任男を非難する視線。シングルマザーで一人娘を育ててきた水季の7年の苦労と苦悩を想像しろと言われても、困惑と混乱、そして恐怖だろう(むしろこれは男性にとってホラー)。

また、なぜ夏が水季の元交際相手で、海の父親だとわかったのか。実は、夏がサインした中絶同意書を水季が持っていたからである。そこをサイコホラーと感じた人もいるようだ。書類を取っておいた理由、中絶しないで産むことにした本当の理由は先週の第6話で明らかになったが、この背景が見えない段階では水季の言動に疑問を覚えるのも当然だ。

さらには夏と付き合っている百瀬弥生(有村架純)にとっても、年下の彼氏にまさか子どもがいるとは思わず、驚愕したことだろう。しかも、夏が前のめりに自分の子どもと距離を近づけて、責任感を発動していくところに、不安も大きかったに違いない。突然知らされる、知りたくなかった、いや、知りたかったのに知らされないまま生きてきた自分を再び責めることになるような事実に、登場人物たちの揺れる心模様が描かれていく。

人知れず嗚咽した女たちの涙が詰まっている

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私自身はホラーという感覚はなくて、罪の意識と痛みが強いドラマだと思った。若いときに産むか産まないかの選択をしたことで、こんなに自分を責めて生きるのかと苦しくもなった。

水季が中絶しようと思ったのは、夏の人生を奪いたくないから。これから就職する前途洋々の夏が、子供をもつことで選択肢が狭められることを避けた。そもそも水季は決めつけや思い込みにとらわれることを嫌い、選択肢にないあらゆる可能性を探す性分だったことが会話でも伝わってくる。自由を奪われることが嫌いな人は、人の自由を奪うことに敏感でもある。自分を主語にして覚悟のうえで産んだのに、病に命を奪われることになるとは、どれだけ無念だったことか。しかもワクチンと検診で予防できる子宮頸がんで。お金も余裕もないシングルマザーにとって、検診は二の次になるのが必定。母にも娘にも決して見せない涙をどれだけ水季が流したことか。

また、弥生は前の恋人との間で中絶を経験している。弥生自身は産むつもりでいたが、彼は中絶が前提。あまりに慇懃で、完璧に誠実な対応をしたことで口をつぐんだ弥生。電話で相談した実母にも、中絶一択でけんもほろろに突き放された弥生。望まれない妊娠に自分の意志を押し殺した過去があった。手術後、家に帰って浴室で嗚咽する場面があった。個人的にはあの場面に近い状況を経験したことがある。シャワーの水しぶきとともに涙を流したいのだが、流しても流しても涙が止まらない(シャワーかけながら泣いたことがある女は強くなれます)。

さらにもうひとりの女、水季の母・朱音は長いこと不妊治療を経験し、やっと水季を授かったという設定だ。ベビーカーを見るとイライラするほど苦しんできた。黒い自分、闇に落ちそうな自分を経験しているのだ。苦悩して産んだものの、生意気でワガママな水季に反抗されまくり。しかもそんな娘がシングルマザーになると自分で決めて、何の相談もしてくれなかったことを嘆く朱音。母親になりたくてなりたくて仕方がなかった朱音と、望まない妊娠だが覚悟のうえ産むという水季、母娘の会話が容赦なく残酷でもあった。夫(利重剛)がフラットに優しくて平等で、癒されて助かる部分もあれば、逆に優しすぎて腹立たしいときもあるだろうな、と想像した。娘に先立たれ、孫娘を残され、怒りが噴出する場面も多かったが、自責の念も強いに違いない。怒りを凌駕する量の涙を流してきたことも伝わってくる。

夏、水季、弥生、朱音。どの目線で見守る? むしろ、外野となって見守るスタイルもあり。夏の家族(実母の西田尚美、再婚相手の林泰文&その息子・木戸大聖というステップファミリー)で協力体制をしいていきたい人もいるだろう。水季がシングルマザーで奮闘していた姿を知る同僚たち(池松壮亮&山田真歩)の目線で、モヤモヤしながら苦々しく見守る人もいるだろう。いずれにせよ、重要なのは誰の目線であっても、海ちゃんの幸せを想像力で創造してあげることだろう。水季が望んだ「自分の意志で決めさせる」ことをモットーに、大人たちが総力をあげて子どもを育んでいく。そこに親とか家族とかの肩書はいらない。と、このドラマではうったえているような気もする。

6話で、水季が産む決意を固めた背景に、実は弥生がいたことがわかった。なんという偶然。名も顔も知らぬ、見ず知らずの女同士の奇跡の連係をさらりと描いた脚本家・生方美久の手腕。水季が命を落とした子宮頸がんについても、ささやかな提言が込められていた。弥生から後輩・彩子(杏花)へのセリフに予防意識の啓発を匂わせたのだ。繊細な配慮も大胆な心情描写も、人の心をぐっと掴む。改めて拍手したい。

『海のはじまり』
フジテレビ系 毎週月曜 夜9時00分~
脚本:生方実久 音楽:得田真裕 プロデュース:村瀬健 演出:風間太樹(AOI Pro.) 高野舞 ジョン・ウンヒ(AOI Pro.)
出演:目黒蓮 有村架純 泉谷星奈 木戸大聖 古川琴音 池松壮亮 大竹しのぶ ほか

吉田潮
吉田潮

イラストレーター、コラムニスト。1972年生まれ。B型。千葉県船橋市出身。
法政大学法学部政治学科卒業。編集プロダクションで健康雑誌、美容雑誌の編集を経て、
2001年よりフリーランスに。テレビドラマ評を中心に、『週刊新潮』『東京新聞』で連載中。
『週刊女性PRIME』、『プレジデントオンライン』などに不定期寄稿。
ドキュメンタリー番組『ドキュメント72時間』(NHK)の「読む72時間」(Twitter)、「聴く72時間」(Spotify)を担当。『週刊フジテレビ批評』(フジ)コメンテーターも務める。
著書『産まないことは「逃げ」ですか?』『くさらないイケメン図鑑』『親の介護をしないとダメですか?』など。

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