SF+サバイバル風味の壮大なヒューマンドラマ
null「あー、今すぐ逃げたい。どこか別次元の異世界へ……」と思うときがある。毎日思う人もいるだろう。仕事のストレスやタスク、厄介な人間関係のいざこざに、罪悪感や自責の念。イライラやモヤモヤを抱えて乗った電車が、なぜか三十数年後の未来へタイムスリップ。そこは水も食料も電気も電波もない、荒れ果てた地。それが『ペンディングトレインー8時23分、明日 君と』(TBS)の舞台である。
まるっと車両ごと遭難(タイムスリップ)し、老いも若きも数十人。別次元の異世界へ行きたいとは言ったものの、そりゃあ地獄だよ。絶望と不安しかない世界で争いや憎しみが充満、それぞれの来し方も映し出されていく。メインキャラクターたちのおかげで、次第に乗客たちは結束。元の世界へ戻れたものの……という話だ。
公務員と国家資格取得者と若者が大活躍
nullおっと、キャラを紹介せねば。主人公はカリスマ美容師・萱島直哉(山田裕貴)。遭難当初は斜に構えてとんがっていたものの、正義感と統率力のある消防士・白浜優斗(赤楚衛二)と、優しく気遣いのできる体育教師・畑野紗枝(上白石萌歌)によって、頑なな心をほぐされていく。実は遭難する前からこの3人は微妙に存在を知っていたという設定。3人の間のほのかな恋心も描きつつ、いや、それどころじゃないわっつう話ね。
遭難直後のギスギスした空間で、私が覚えたのは「公務員はやはり人助けと滅私の精神があるわなぁ」「国家資格のある人は役に立つわねぇ」という劣等感。さらには、植物の専門知識がある大学院生(井之脇海)やシステムエンジニア(大西礼芳)もいて、「ああ、有事の際に、私は役立つ人間ではないな」と痛感させられた。
しかもだな、初めの頃は私と同年代の年長者たちが厄介な存在として描かれていた。歯が痛いと大暴れしたり、水を隠したり、集団行動から外れたのが警備会社勤務のサラリーマン・田中弥一(杉本哲太)。逆に、気鬱になって「帰りたい」の連発で後ろ向き発言を垂れまくるのが、会社経営の寺崎佳代子(松雪泰子)。別の集団にいて、うそぶいてリーダー気取りの策士と化したのが、IT企業経営者の山本俊介(萩原聖人)。もう、失礼ながら、おじさんとおばさんが大迷惑だったわけよ、中盤までは。なんだかいたたまれなくて。
それでも物語が進むにつれ、それぞれの特性を生かし、励まし合い、老いも若きも一致団結。困難や絶望を乗り越えて、現代へ戻ることに成功。あ、杉本哲太演じる田中のおっさんだけは、今までの蛮行と打って変わって、身を挺してみんなを送り出し、ひとりだけ残った。驚きの善行を見せたわけで。グッジョブ、哲太!
描きたいのはそこじゃない
nullで、このドラマのメインディッシュは、過酷なサバイバルと極限状態の人間の業で展開するディストピア……ではなかった。最終回直前の第9話で現代に戻ったはいいが、2026年、つまり遭難から3年の時が経っていた。
荒廃した未来の世界は地球規模の大災害、2026年に起こる隕石衝突によるものと知っている元乗客たちは、間近に迫る危機を必死で訴えるが、誰も信じてくれない。逆に、変人・狂人扱いされてしまう。それどころか、好奇の目と悪意にさらされる。身辺を特定されて、家族や過去を掘りかえされ、誹謗中傷の的にも。
遭難時にワガママ放題だったネイリスト・渡部玲奈(古川琴音)は、共に過ごして支えてくれた明石周吾(宮崎秋人)と恋仲になったが、現代に戻ってきて、明石の妻から非難されるハメに。萱島は、イケメン美容師ともてはやされる一方、過去に傷害事件を起こした弟(池田優斗)とともにネット上にさらされる。しかも、自分たちを捨てた母親が得意げにSNSで語っていることに愕然とする。
悲劇はそれだけではない。現代へ戻る際に、時空のねじれに手を触れたせいか、美容師の命である利き手に力が入らなくなっていたのだ。極限状態を必死に生き抜き、やっと戻ってきたのに、待ち受けていたのは最低最悪な俗世界。白浜も同様。消防活動中、野次馬や動画配信の輩を制したところ、逆に暴力をふるわれたと拡散されて、炎上してしまう。争いや憎しみを乗り越え、みんなが力を合わせてひとつになった世界に戻りたいと思ってしまう元乗客たち。ものすごい皮肉である。
ディストピアはどっちだ!?
nullそもそも元乗客たちは、うしろめたさや生きづらさ、あるいは罪悪感を抱えていた。未来の世界でサバイバルを経て、己の小ささを知り、強く優しくたくましく、人として大切なことを学んだ。しかし、現世は悪意と邪気に満ちたどうしようもない世界……もう滅びればいいと思っちゃうよね。彼らが「地球を救いたい」と思えなくなる展開でもある。文明がすべて失われ、世間体という魔物と不特定多数の無責任な悪意という怪物がいない、あの未来は自然淘汰の末のユートピアだったのかもしれない。水と空気と太陽光、そして植物。さらに人間の知恵と勇気と優しさがあれば、世界はそれなりに穏やかに回る……とさえ思わせたこのドラマ。
どうしたら隕石を避けられるかはわからないけれど、すべては間宮祥太朗にかかっている。間宮演じる物理学の権威・蓮見涼平教授だけは、元乗客たちの話を信じてくれるはず……ということで、今夜最終回を迎える。個人的には、杉本哲太の帰還を密かに願っているのだが、どうなるかな。
『ペンディングトレインー8時23分、明日 君と』
TBS毎週金曜夜22時00分~
脚本:金子ありさ プロデューサー:宮崎真佐子、丸山いづみ 演出:田中健太、岡本伸吾、加藤尚樹、井村太一、濱野大輝 音楽:大間々昴
出演:山田裕貴、赤楚衛二、上白石萌歌、井之脇 海、古川琴音、藤原丈一郎(なにわ男子)、日向 亘、片岡 凜、池田優斗、宮崎秋人、大西礼芳、村田秀亮(とろサーモン)、金澤美穂、志田彩良、坪倉由幸(我が家)、ウエンツ瑛士、大後寿々花、西垣 匠、萩原聖人、山口紗弥加、前田公輝、間宮祥太朗、杉本哲太、松雪泰子
※「宮崎真佐子」の「崎」は、正しくは「たつさき」
イラストレーター、コラムニスト。1972年生まれ。B型。千葉県船橋市出身。
法政大学法学部政治学科卒業。編集プロダクションで健康雑誌、美容雑誌の編集を経て、
2001年よりフリーランスに。テレビドラマ評を中心に、『週刊新潮』『東京新聞』で連載中。
『週刊女性PRIME』、『プレジデントオンライン』などに不定期寄稿。
ドキュメンタリー番組『ドキュメント72時間』(NHK)の「読む72時間」(Twitter)、「聴く72時間」(Spotify)を担当。『週刊フジテレビ批評』(フジ)コメンテーターも務める。
著書『産まないことは「逃げ」ですか?』『くさらないイケメン図鑑』『親の介護をしないとダメですか?』など。