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世界35カ国を家族と旅したぼくが、いまコタキナバルで暮らす理由【タビカゾク#1】

「子どもができても、以前と同じように、もっと自由にもっと気軽に旅に出よう」という考えのもと、2016年に日本を旅立った木南仁志(現在45歳)さん一家。当時子どもは4歳と2歳でした。35カ国を1年かけて旅し、帰国後、定住の地に選んだのは、日本ではなく、マレーシアのコタキナバル。

木南さん一家が世界の国々を巡る旅や海外生活で得たものとは、何だったのか。4回にわたって、お伝えしていきます。

大人も子どもも、のびのびと暮らせる海外で生活したい

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マレーシアの首都クアラルンプールから空路で約2時間40分、ボルネオ島にあるコタキナバルは1年を通して気温が高く、車で数時間以内の距離に野生のオランウータンが生息するジャングルがあり、手つかずの大自然が残っている地域です。

そのコタキナバルにある日本人学校で7月9日、学校説明会が開かれていました(下写真)。この学校は、日本人会が経営する私立学校で、小学生6人、中学生7人の、世界でも2、3番目に小さな学校といいます。

説明会にはマレーシア国内からだけではなく、日本から入学を希望する人たちも集まっていました。

木南さんは、この学校に長女のサナちゃん(7歳)を通わせています。次女のレナちゃん(5歳)は現地のインターナショナルの幼稚園。木南さんが一家で定住する地にここを選んだのには、どういう理由があったのでしょうか。

「家族で35カ国を旅してきて、日本で暮らすかどうかを妻と話しました。僕たち夫婦は、学生時代からバックパッカーをしており、いつかは海外で暮らしてみたいという希望を持っていましたが、海外を旅したことで、日本の良いところも見えてきたんです。

その一方で、悪いところも見えてきた。日本では時間に拘束されて家族の時間が取れないこと。世間からどう見られているかという社会の目があって、ぼく自身も閉塞感がありました。

自分は自分、あなたはあなた、人がどう思っているかなんて関係なく、大人も子どもものびのびと暮らせる海外で暮らす。結局ぼくたち一家にとって、それが一番自然な選択でした」

長女が小学校に入る前に世界一周したい!

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香港への家族旅行では、子どもが高熱を出して海外で初めて病院へ。
世界一周へ行く前の“最終テスト”のような子連れ旅はネパール。

木南さんは、岡山県生まれ。大学卒業後、投資会社を経て『ヴィレッジヴァンガード』にアルバイトで入社しました。店舗勤務をしながら、同社の上場を手伝い、常勤監査役にまで就任し、香港事務所を開設。取締役になった後、同社が買収した『チチカカ』では、33歳にして社長に就任しています。

一方、プライベートでは27歳のときに職場の後輩だった洋子さんと結婚し、2人の娘にめぐまれました。

ワンオペの妻と、娘に顔を覚えられていない夫…

「サラリーマンだった頃は、朝早く家を出て深夜12時に帰宅し、食事をとって午前1時に就寝する毎日でした。ペルーやグアテマラなど南米への出張も多く、出産後専業主婦になった妻は、ワンオペ育児で苦労していました。

子どもは父親の顔を覚えていないので、抱っこしても泣きだします。これでいいのか悩みました。そこで業績を伸ばし仕事が一区切りしたことで、思いきって退社したのです。妻に“長女が小学校に入学する前に、家族で世界一周をしたいけれど”と切り出すと、“いいよ”と応じてくれました」

もともと20歳のときから、木南さんは「40歳になったらアーリーリタイアメントをして違う人生を送る」という思いがありました。

世界一周をする前にも、長女のサナちゃんを連れて、6カ月でグアム島、9カ月で香港、1歳5カ月でニュージーランド、2歳3か月で台湾と、家族で短期間ながら海外旅行体験をしていました。台湾旅行のときは、洋子さんは妊娠中。夫婦ともに旅慣れていたこともあってか、小さな子どもを連れての海外旅行は苦でなかったといいます。

そして妹のレナちゃんが10カ月になると、初海外でオーストラリアへ。その後もマレーシア、シンガポール、ネパールなど、家族での旅は続きました。

2016年。木南さん42歳のとき、一家は世界一周の旅へ出発します。最初に向かったのは、フィリピンのセブ島でした。(次回に続く)

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