記録が残っている、ということ
nullFacebookの機能で、1年前の思い出です、2年前の思い出です……という案内がくる。
クリックすると、昔の写真とその時々に書いた長かったり短かったりする私の文章がアップされていて、「うわあ、懐かしい」と思うときもあれば、「すっかり忘れていたけれど、こんなこともあったなあ」というときもある。
息子氏は今10歳。彼が生まれた直後にFacebookを始めたので、このSNSが彼のアルバムのようにもなっている。
記録していなければ、完全に忘却していたであろう些細なやりとりも、SNSの機能が強制的に思い出させてくれる。
そしてそのたびに、忘れずにすむことの便利さと危うさについて考えてしまう。
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「過去の出来事を忘れることができる」
ことと
「過去の記憶を(意識的にも無意識的にも)塗り替えてしまう」
ことは、人間が持って生まれた優れた能力だと私は思う。
忘れたり、自分に都合よく過去を書き換えたりする機能が脳にあったからこそ、人は失う悲しみや失敗した恥ずかしさに狂うことなく、何度も人生をリセットしながら生き続けることができたんじゃないかと思うのだ。
そして、考えてしまう。
何年も前の写真やエピソードがリフレインされる今に育つ子どもたちは、忘れることや、過去を書き換える能力をキープしたまま大人になれるのだろうか。
SNSに残された子どもの記録は、あくまで親目線の記録だ。
面白おかしく読ませるために話を端折ったかもしれないし、話を盛ったかもしれない。子どもの写真だって可愛く撮れるまで10枚も20枚も連写したうちの奇跡の1枚だったりして、そこにあるのは「親目線で切り取られ編集された思い出」であって、“ まんま”ではないんだよな、なんてことを考える。
のちのち彼らが大きくなったとき、これらをどんな風に読むのだろうか。
その記録が残っていることを、嬉しく思いながら読むだろうか。
それらの記録に触れることによって、自分にとって大切な記憶が親都合の記憶に塗り替えられていったりはしないだろうか。
とくに、この連載をはじめてから、記録を残すことのよしあしについて考えることが多くなった。
覚えておきたいことだけを
SF小説家、テッド・チャンの小説集『息吹』の中に、『偽りのない真実、偽りのない気持ち』という短編がある。その小説の世界では、過去の経験がすべて映像で記録されている。
たとえば、「あなた、あの時はこう言ったじゃない!」と口論になったら「じゃあ、リメン(検索ツール)で検索してみようよ」となって、その時の映像が目の前に映し出される。
リメンという検索ツールがある世界では、過去の自分の暴言も悪行もぜんぶ記録されている。だから、言い逃れできない。片方が都合よく忘れようとしたことも、もう片方が許していなければ、何度でも目の前に再現させられる。
もちろん、リメンには幸せな記録も残る。でも、すごく幸せだったはずの記憶が、10年後に検索しなおしたら、意外と自分の勝手な思い込みだったということもあるだろう。別れた恋人からの愛の言葉なんて、あとから見返したら辛い以外の何ものでもないかもしれない。
人の脳は、覚えておきたいことだけを都合よく覚えていることで、前に進むことができるのかもしれない。
今日、この小説のことを思い出したのには理由がある。
オリンピックである。
「過去をなかったことにできない」時代
オリンピックが始まった。
いま、この原稿を書いているのは7月22日の早朝だけれど、この一週間だけでも、開会式まわりの人選について何度も疑問の声があがり、そのたびにいろんな人がいろんな見識を語っている。
私も、彼らが過去に語った言葉や、過去に作った創作を見た。その内容に関しての意見は多くの人たちが語っているので、ここでは言及しない。
いま、私が考えているのは、
私や私の子どもたちは、「過去をなかったことにできない」時代に生きているのだなということだ。
今回の話でいうと
小学生時代のいじめ(インタビューに書かれていたことが事実であれば、虐待と言っていい話だと感じた)と、それについて語った約20年前の記事が、現在の人生に干渉してきたといえる。
これまでも、過去の「行い」の積み重ねが、今の自分の現状となっていることは、私たちもなんとなくわかっていた。人を騙したり、欺いたりすると、いつかそれは自分の首をしめることになる感じは、経験としてわかっていた。
だけど、過去の「記録」が、今の自分の現状をひっくり返す時代になることを、そこまで真剣に想像できていた人は多くないのではないかと思う。
過去の「行い」だけではなく、過去の「記録」も未来永劫、自分の人生に影響していく。
そして、過去の記録が消えない以上、人々の忘却を待って人生をやり直すことは非常に困難になっていく。
この事実は、これから私たちの生活に、とても大きな影を落としていくと思う。
たとえば私はインタビュアーなので、今、私が書いている記事が、いつかその取材相手の不利益になるかもしれないことを、今まで以上に意識して書くことになるだろう。
もちろん、いじめや虐待に関しては、20年前も今も許されるとは思っていない。
でも、あの記事が武勇伝のような口調で公開されたのは、少なくとも当時のインタビュアーがそれを面白いと感じたからだろうし、それを面白がって読んだ人がいたからだ。
私たちが今は面白いとか珍しいと思って伝えていることが、何十年後かに社会的に完全アウトになる可能性がないとも言えない。
子どもについて書いているSNSだって同じだ。いつか、その文章が彼の人生を左右することがあるかもしれない。
今までもそれは意識していたけれど、これからは今まで以上に、「残ってしまう過去」について考えていくことになるだろう。
画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉
◼︎連載・第25回は8月8日(日)に公開予定です
佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学4年生の息子と暮らすシングルマザー。