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まずは、自分の道を【ママはキミと一緒にオトナになる vol.15】

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コラムニスト・ライターとして活躍する佐藤友美(さとゆみ)さんが、9歳の息子との会話を通して見えてきた新しい景色、新たな気づきなどを伝えてくれる連載エッセイの第15回。今回は、あれから10年目の3月11日を迎えて、今改めて考えたこと。

お腹の中には、32週になる赤ちゃんが

10年前の3月11日。私のお腹の中には32週になる赤ちゃんがいた。
どんっと揺れた瞬間、まずとっさにお腹に手がいった。人生で一度も経験したことのない揺れだった。

当時私は、切迫早産の入院から家に戻ってきたばかりだった。
毎日の点滴からは解放されたものの、絶対安静で外出禁止。一日でも長く、赤ちゃんをお腹の中で育ててね。できるだけ立たないように、歩かないように。トイレとシャワーはいいけどお風呂はダメといわれ、毎日ベッドの上で原稿を書いていた。

その日は、家事の手伝いにきてくれていた母親が、一カ月ぶりに北海道に帰る日だった。玄関まで見送ったときに、揺れた。母と一緒にあわててテーブルの下に隠れた。

ガラスの食器棚から花瓶やグラスが落ちるのを支えようと、母がテーブルの下から出ていったので、「おさえなくていい! 危ないから!」と叫んだのを覚えている。

テーブルの下で前かがみになり、声を出すというそれだけの動作でも、ぎりっとお腹が痛む。もし家が崩れそうになったら、逃げることはできるだろうか。身重の動物の弱さに呆然とする。この時のことは、今でもよく、夢に見る。

幸い、怪我はなかったし、家に被害もなかった。
けれども、テレビをつけたら、世の中は大変なことになっていた。

いつも身体に力が入っていた

家族や友人たちと、安否を確認しあう。
無事だった。よかった。気をつけてね。うん、そちらも。そんなやりとりが数日続いた。

しかし、原発の情報が錯綜しはじめたころから、私のケータイに届くメールの様子が変わってきた。
「西に逃げたほうがいいと思う。赤ちゃんのことを一番に考えて」
「北海道で里帰り出産できないの?」
「東京での出産は危険です」

誰もが親切心で言ってくれているのはわかる。

でも、いつ生まれるかわからない切迫早産の身。ハイリスク妊婦になってしまったいま、NICU(新生児集中治療室)のない病院での出産は受け入れてもらえない。文字通り、身動きがとれないのだ。
そのうち、妊婦は水道水を飲んではいけないという情報が出回った。レンタルのウォーターサーバーが、どこも品切れだという。
友人たちからのメールがくるたびに不安が増す。

何が正解なのか、デマなのかもわからない。
このころから、テレビのニュースを見るのはやめた。

選択肢のない、出産はまだよかった。迷う余地がなかったからだ。

でも、無事に子どもが生まれてからも、粉ミルクから放射線物質が出た。保育園の砂場からセシウムが検出されたといった報道が続く。
小さな子どもを持つ仕事仲間が、何人も“疎開”した。

自分の選択が、子どもの将来を左右してしまうのかもしれない。
その、緊張感。

初めての出産、初めての子育てだけでも手一杯なのに、国民全員が初めて経験する放射能問題が加わったこの1年は、いつも身体に力が入っていた。

いまもし、あのときの私に声をかけてあげることができるなら
「大丈夫だよ。10年たっていま、あなたの息子は元気すぎるくらい元気に育っていますよ。
あのとき一緒に生まれた同級生たちもみんな、元気に遊んでいますよ」
と、伝えてあげたい。
そして、あのとき「この子が元気で育ってくれさえすれば、ほかには何もいらない」と祈ったことも。謙虚な気持ちで、何度でも思い出そうと思う。

そこまで考えて、ふと気づく。
そうか、私があのとき不安でしかたなかったように、いま、コロナ禍で不安な出産を控えているお母さんたちもいるだろうな。生まれたばかりの子どもと、心の落ち着かない生活しているお母さんたちもいるだろう。
その人たちにも、みんなに、みんなに。はやく平穏な日が戻ってきますように。みんなの子どもが元気でありますようにと、祈る。

今じゃなくても、いい。

ところで10年前の東日本大震災のときから、ひとつ。
ずっと心に留めている言葉がある。
当時ファッション業界で活躍していた、ある女性社長の言葉だ。

彼女は震災直後からTwitterで被災地に支援物資を送ろうと呼びかけ、集まった大量の救援物資を続々と被災地に送っていた。
10トンのお米、1万人分お米がたける炊飯器、数千人分のおにぎり、3000枚の毛布に、2000枚の下着……。
日本全国から続々物資が集められている場所は、当時私が住んでいた家のすぐ近くだった。

こういう「目に見える支援」は、人の命をリアルに救う。
また、東京と東北の避難所を何度も往復する彼女は、政府や行政が把握していない情報も持っていて、その情報も重宝されていた。

彼女を心から尊敬する一方で、何もできない自分に対する歯がゆさも募っていく。体さえ動けば、近所にあるはずの拠点で仕分けのボランティアをしたいのに……。

そう思ったのは私だけじゃないようだった。ある高校生の女の子が、彼女にTwitterで、こんな質問をしていた。

「高校生の自分に何が出来るのかが思いつかない」

それに対しての、彼女の答えはこうだった。

「まずは自分の道を。わたしはこうして出来るようになるまで30年かかったよ」

短いやりとりだったけれど、私はいまでも、この投稿を一字一句はっきりと覚えている。
この言葉に、心から、救われたからだ。

私が、どこかで誰かのお役に立てるのは、今じゃない。今じゃなくても、いい。今はとにかく、このお腹の子が元気に生まれてくることに集中しよう。そして、これから先も「自分の道」を一歩ずつまじめに歩いていこう。
そうした先に、10年後か、20年後か。力をたくわえた自分が、どこかで誰かを笑顔にできるかもしれないし、誰かの役に立てるかもしれない。
そう思ったのだ。

何かに迷ったとき、早く成果が欲しくなったとき。いつも、この言葉を思い出してきた。
「まずは自分の道を。わたしはこうして出来るようになるまで30年かかったよ」

・・・・・・・・・・

あれから10年たった。
10年目の3月11日を迎えて、思う。

私は私の道で、力を蓄えられただろうか。
その力を、誰かのために使えているだろうか。

たとえば、ときどきでもいいから、自分の言葉は誰かの役に立っているだろうか。
一瞬でもいいから、嫌なことを忘れたり、楽しい気持ちになれる、そんな時間を作れているだろうか。

10年前の自分を思い出しながら、今日も、私は、文章を書いている。

 

画・中田いくみ タイトルデザイン・安達茉莉

◼︎連載・第16回は3月28日(日)に公開予定です


佐藤友美(さとゆみ)
ライター・コラムニスト。1976年北海道知床半島生まれ。テレビ制作会社のADを経てファッション誌でヘアスタイル専門ライターとして活動したのち、書籍ライターに転向。現在は、様々な媒体にエッセイやコラムを執筆する。 著書に8万部を突破した『女の運命は髪で変わる』など。理想の男性は冴羽獠。理想の母親はムーミンのママ。小学3年生の息子と暮らすシングルマザー。

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