家族に恵まれなかったモードとエベレット
nullモード・ルイスは1960年代に活躍したフォーク・アート画家。アメリカのニクソン大統領がモードの絵を2枚もホワイトハウスに飾ったというほど、知る人ぞ知る有名な画家なのです。しかし、彼女が大成したのは60歳をこえてから。モードは正式な美術の訓練を受けておらず、本人はアーティストとして成功しようとは夢にも思っていませんでした。
モード(サリー・ホーキンス)は1903年にノバスコシア州の港町に様々な障害をもって生まれてきました。指は曲がり、あごが肩にくっつくなど若年性関節リウマチに苦しんだモード。しかし、両親に愛されて育ち、優しい母親と一緒にクリスマスカードに絵を描いては売っていたそうです。
ところが、モードが若いうちに両親は亡くなり、家は兄によって売り払われてしまいます。叔母の家に居候を余儀なくされた彼女は、そこでは厄介者として扱われ、自立するために魚の行商を営むエベレット(イーサン・ホーク)の家に住み込みの家政婦として働くことに。。
無骨で変わり者のエベレットの家は電気、ガス、水道もない4メートル四方の小さな家。障害のせいで家事もこなせないモードをエベレットは追い出そうとしますが、モードの温かい心にやがて心がほぐされていきます。実は、エベレットも孤児院育ちで愛を知らずに育った孤独な男性でした。
ありのままの姿を受け入れること、それが愛
null叔母や兄に自分の存在さえ認めてもらえなかったモード、そして、愛し愛された経験がなかったエベレットの2人は、お互いのありのままの姿を受け入れていきます。やがて、家政婦のモードの代わりに家事をするようになるエベレット。それは、絵を描かずにはいられないモードを深く理解し、応援していたからなのでしょう。
とはいえ、そんな2人の心の結びつきは、“変わり者の貧しい男が障がいをもった女と同棲している”と周囲から非難されます。
世間体を気にするモードの叔母の反対を押し切り、2人はついに結婚。このとき、モードは35歳。キャンバスを買うお金もないので、請求書の裏、家の壁、木の板にただただ絵を描き続けるモードに転機が訪れます。
1枚25セントの絵が、いまや500万円に!
nullエベレットは魚の行商に行く際に、モードのポストカードを1枚25セントで販売していました。それが評判となり、彼女が61歳のときにカナダの週刊誌に紹介され、翌年にはテレビ番組に取り上げられます。その後、エベレットとモードの小さな家には観光客が押し寄せるようになり、モードは一躍時の人となりました。現在、モードの絵はオークションで500万円以上の高値で取引されています。
成功した後も素朴な生活を続けた2人
nullモードの成功後も、2人は亡くなるまで同じ小さな家を離れることはありませんでした。リウマチが年々ひどくなり絵を描くのも辛い状況になっても……。「私はこの椅子さえあればよいの。旅行に行く必要もないわ。目の前に筆があれば、それで私は十分」。これは実際にモードがテレビ番組で語った言葉です。
モードの絵を彩る自由な色は、なぜか心を穏やかにします。それは、あるがままの自分を受け入れてくれる人を見返りなしに愛し、自分の居場所を見つけた者にだけ、出せる色だから。本来の魂を手にした者だけがもつ、平穏と愛を私たちは感じるからではないでしょうか?
【作品情報】
しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス
2018年3月3日(土)新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ、東劇ほか全国ロードショー
(c)2016 Small Shack Productions Inc. / Painted House Films Inc. / Parallel Films (Maudie) Ltd.