「褒める」と「自虐」は混ぜるな危険
null自分は自分
null山田シャルロッテです。
善意の発言にからんだモヤモヤって、意外とたちが悪いですよね。そういうモヤモヤって、たいがい「余計な一言」から生まれます。女性同士の会話って、「解決策を示してほしい」よりも「聞いてほしいだけ」ということ、けっこう多いから「余計な一言」の見極めは、自分のためにも相手のためにも大事だな、と思います。
筆者は若いころ、わりと生真面目なタイプだったので、何か相談されたらいちいち真剣に解決策を提案したり、自分が良いと思った事は周囲にも共有しようとしたり……つまり「余計な一言」が多いタイプでした。年齢を重ねるにつけ、それが見当違いだと、なんとなく気づきました。だって、一度解決策を提案した相談に関して、その解決策を試した様子もなく、何度も何度も「まだ悩んでるの」と同じ事を話されたりするし。自分にとっては「有益な情報」も、相手によっては「善意の押し付け」になっちゃう事もあるのかな?と。聞かれてもいない事は、発信する前にいったん落ち着こう、と思うようになりました。「余計な一言」って、自分が気づかない種類のものこそ気を付けないといけないな、と。
漫画のリナさんのように、「相手が自慢したそうな時に、あえて自分をサゲる」的な会話も要注意です。いらぬサービス精神を勝手に発揮したことで、相手のプチマウント?をまねいて勝手にモヤる……とか、やっちゃう人、いませんか? これも「余計な一言」が生むモヤモヤの一つ。
シンプルに「笑って聞くだけ」というスキル、時には必要です。先輩のオバさま方の会話とか、すっごい楽しそうに盛り上がってるところに聞き耳立てると、「私最近、〇〇やってるの」「あら楽しそう!私は最近〇〇やってるのよ~」なんて、報告しあうだけだったりして。でもそれがすっごく健康的でキャッキャしている。大人はそれぞれの生活も事情も違うので、「聞くだけ」という時間をお互い平和に共有できる、って、けっこう大事かもしれません。
そういう時間の積み重ねの先に、「この人には大事な事を相談できる」という相手が洗い出されて行くのかな?と、最近、思っています。
ライター&イラストレーター・漫画家。1児を高齢出産後、都内で子育て中。
仕事をしながら子どものお稽古事やスポーツ活動の委員、PTA活動などもけっこう参加するので、ママ友多数。