骨粗しょう症、アルツハイマー型認知症、高脂血症はエストロジェンの低下から
田中先生は横浜市立大学市民講座「ホルモン補充療法とは」で次のように言う。
「女性がまだまだ働き盛りの50才前後で、更年期のつらさから会社を退職してしまうのを何とか止めたいのです。それを防ぐのがホルモン補充療法です。更年期は女性の不調の入り口でしかありません。エストロジェンを欠いた体は、その後死ぬまでさまざまな不調に襲われるのです」
エストロジェンが急速に失われる更年期には、のぼせ(ホットフラッシュ)やイライラ、不眠などに襲われる。しかし、もし更年期の10年さえ乗り切れば、と考えているのならそれは大間違いだ。エストロジェンの欠乏により、骨はもろくなり骨粗しょう症に、血管の老化やコレステロールの上昇により動脈硬化や心臓病に、海馬は小さくなりアルツハイマー型認知症などになりやすくなってしまうのである。
血管の老化とは、血管内皮細胞の老化だ。加齢とともに血管内膜が厚くなり、反応が低下してくる。この反応に作用するものの一つがアセチルコリンだ。アセチルコリンに対する血管内皮の反応を男女別に調べると、50才までは女性のほうが男性よりも高いが、50才以降は男性より急激に直線的ともいえるほど低下していくという。これも、エストロジェンが血管を守っていることを示すものだと田中先生は言う。
50才代以降でコレステロールの上昇を健康診断や人間ドックなどで指摘される女性は多いと思うが、こうした高コレステロール血症にもエストロジェン低下の影響が指摘されている。そのほかエストロジェンは骨の破壊を抑えるため、低下すると骨粗しょう症にもなりやすくなる。男性より女性のほうが年を取ると骨折が増えてくるのはそのためだ。
ホルモン補充療法は、女性を本来の体に戻すもの
「女性の体はエストロジェンがあるのが普通で、ないのは異常なのです。エストロジェンの欠乏した体にエストロジェンを補充することは、女性が本来の姿を取り戻すために、当たり前のことなのです」と田中先生。
失われたホルモンを補うのがホルモン補充療法(Hormone Replacement Therapy=HRT)だ。ホルモン補充療法と聞くと、何か自然の摂理に逆らっているかのようにとらえられることが多いが、たとえば糖尿病患者がインシュリンを投与されるのもホルモン補充療法だ。つまり、本来なければならないホルモンが欠乏した時に補充するもの、それがホルモン補充療法なのである。
エストロジェンの欠乏した体を襲うさまざまな病気のリスクを考えれば、閉経以降のホルモン補充療法はけっして自然の摂理に逆らうものではなく、かえってあるべき状態に戻すものだということが理解できるだろう。
オーストラリア女性は56%、対して日本女性はわずか1.7%
しかし日本の現状はお寒い状況だ。
閉経後女性におけるホルモン補充療法の普及率の各国別数字は以下のとおり。
オーストラリア 56%
カナダ 42%
アメリカ 38%
フランス 38%
アイスランド 38%
イギリス 30%
スウェーデン 29%
日本 1.7%
なんと日本は1.7%! 必要なのにこんなにも浸透していないのだ。
その主な理由は、先ほどの自然の摂理に反しているのではという思い込みのほかに、子宮がんや乳がんになるリスクが上がるのではないか、経済的負担や身体的負担が大きいのではないかといったものがあげられる。
次回(最終回)は、こうした不安に対して、ホルモン補充療法の実際について解説しよう。
たなか(きむら)・ふくこ 医学博士、横浜市立大学名誉教授。田中クリニック横浜公園(更年期女性外来/生活習慣病外来)院長。
1964年横浜市立大学医学部卒業、同大大学院医学研究科修了後、同医学部教授、同医学部長を歴任。専門は生理学、神経内分泌学、脳科学。平成29年秋の叙勲において瑞宝中綬章を受章。主著に『女の脳・男の脳』『女の老い・男の老い』(ともにNHKブックス)、『脳の進化学』(中公新書ラクレ)、『がんで男は女の2倍死ぬ』(朝日新書)、『カラー図解 はじめての生理学』上・下 (講談社ブルーバックス) 。学会活動は貴邑冨久子として行っている。
◆取材講座:「ホルモン補充療法とは」(横浜市立大学市民医療講座/アートフォーラムあざみ野)
取材・文/まなナビ編集室(土肥元子)
(初出 まななび 2018/02/27)