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携帯は贅沢か?「子どもの貧困」問題はなぜ炎上する?

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「子どもの貧困」と聞いて何をイメージするだろうか。飢餓に苦しむアフリカの子どもたちか。それとも児童労働に駆り出される発展途上国の子どもたちだろうか。しかし今、日本にある「子どもの貧困」はイメージしにくいどころか、見えにくい貧困だ。子どもの貧困に詳しい東洋大学社会学部教授の森田明美先生に訊いた。

豊かな日本だからこそ貧困は見えにくい

現代の日本の「子どもの貧困」を、私たちが日常の生活の中でイメージするのは大変に難しい、と、東洋大学の森田明美先生は語る。

「たとえば今日、私が着ている服の値段をあててみてください。10万円の服を着ているかもしれない。でも一方で、もらい物の服を身に付けているかもしれない。そこにどれくらい違いがあるかわかりますか? もらい物の服だけの場合でも、そこに〈貧困〉は見えますか? 見えませんよね。それくらい現代の日本の豊かさの中では〈貧困〉は見えにくいんです。

それなのに私たちは知らず知らずのうちに『貧困とは誰から見てもかわいそうなこと』と勝手に思いこみ、これは〈貧困〉だ、これは〈貧困〉ではないと区別しているのです」(森田先生。以下「 」内同)

食べるものもない飢餓寸前の状態、そうした命を脅かすような貧困状態を〈絶対的貧困〉と呼び、世界銀行は2008年に1日の生活費が1.25米ドル未満の場合がそれにあてはまるとしている。もちろん金銭価値は国によって違うので、最低限の生活を維持する食料や生活必需品すらも購入できない状態をさすと考えればよい。

そのような〈絶対的貧困〉であれば、私たちは誰もが納得して手を差し伸べねばと思うし、これこそ〈貧困〉だと納得する。しかし、そうした〈絶対的貧困〉は現代の日本にはほとんどない。いま18才以下の日本の子どもの7人に1人が陥っているとされる貧困は〈相対的貧困〉だ。

ほかの人にとって当たり前のことができない状態

相対的貧困〉とは何かというと、とくに先進国において、多くの人が当たり前のようにできていることが経済的な問題でできない状態に置かれていることをいう。

ざっくりとした説明ではあるが、所得水準でみれば、所得の中央値の半分のライン(貧困線)に満たない場合をさす。もちろん今の日本では、一人暮らしから大家族までさまざまな世帯があるので、いくらが貧困ラインかは単純にはいえないが、これもざっくりとした平均値でいうならば、平成27年度の貧困ラインは約122万円だった。

この所得で絶対に暮らせないかというと、そういうわけではない。しかし、選択の自由は大幅に狭まる。

昨年、NHK「ニュース7」で「子どもの貧困」が取り上げられた時、「貧困と言いながら贅沢なのではないか」という論議が主にネットに過熱したことがあった。そうした〈相対的貧困〉についての誤解は今なお根強くあると、森田先生は指摘する。

「『あら、結構お金ありそうじゃない』
『携帯持てるくらいなら貧困ではないでしょ』
『ディズニーランド行くお金があるんだ』
『いやあ、この暮らしだったら豊かでしょ』

相対的貧困についてそういう見方をする人はたくさんいます。確かに食べていけないわけではないことは確かです。しかしそれを言い始めたら、今の日本で〈貧困〉ってどういうこと?となってしまいます」

昨年の調査では、日本の高校生の携帯電話の所有率は9割にまで達している。

たとえば生活保護を受給する場合、高価なものや贅沢品の購入に制限がかかるが、何を贅沢品と考えるかどうかは、普及率が70%以上かどうかが一つの目安になるという。一例を挙げれば、エアコンはかつては贅沢品と思われていたが、今は熱中症対策に必要な品だと思われるようになった。

では全高校生の10人のうち9人が持っている携帯は贅沢品なのだろうか。

貧困は自己肯定感を奪う

森田先生は今年6月、「「子どもの貧困」はなぜなくならないのか-当事者と考える-」と題した公開講座を東洋大学で開催した。そこには子ども時代に貧困の当事者だった人たちが登壇した。その中の1人、26才の男性の話を紹介したい。

その男性、Aさんは、小学5年生で児童養護施設に入所した。幼い頃は私立小学校に通うほど経済的に恵まれた家庭に育ったが、母親の父親へのDVがひどかったという。

小学2年生の時に父親が自殺し、母親のエネルギーが彼に向くようになり、ドリルを3分で解かないと叩かれるなどの教育虐待が始まった。それは命の危険を覚えるほどで、彼は何度も家出と警察による保護を繰り返し、小学5年生で児童養護施設に入所することとなった。

施設での生活は天国のようだったという。しかし、どこか主体的に生きているという実感がなく、自分が何かを選択しできるようになるという思いや将来への希望を持つことができなかったという。当時、児童養護施設は高校卒業とともに出なければならなかったが、Aさんは将来像を思い描くことができなかった。

高校を卒業し施設を出て、アルバイトをしながら暮らしていた自立援助ホーム退所まであと数か月という時、Aさんはある社会起業家が自分の夢を語るイベントに参加した。そこで彼は、周りの人と彼との決定的な違いを知った。

ほかの人は皆、「自分はきっとできる」という自信を持っていたのに自分にはそうして肯定感がなかったのだ。そこでAさんは一念発起して大学進学を決意、周辺の人々に支えられて給付型の奨学金を得ることができ、無借金で大学を卒業、現在は希望の職につき、働いている。

この話を聞いて、冒頭で紹介した森田先生の、「たとえば今日、私が着ている服の値段をあててみてください。10万円の服を着ているかもしれない。でも一方で、もらい物の服を身に付けているかもしれない。そこにどれくらい違いがあるかわかりますか?」という話を思い返した。

10万円の服を身に着けているときと、もらい物のゼロ円の服を身に着けているときと、他人からはその違いがわからないだろう。しかし、自分だけはそのことを、いやというほどわかっている。すべてが与えられたものの場合、人は主体的に生きる喜びを抱くことができるだろうか。

この公開講座終了後のアンケートで、「彼は貧困だと思わない」と意見欄に記したものが複数あったという。小学5年生から施設で暮らし、何も所有せず、貯金も親の援助も一切なくても、である。幼時期に私立小学校に通っていたこと、無借金で大学を卒業し就職もしていること、が、貧困とは受け止められなかったのだ。

現代日本で〈貧困〉は目には見えないことが多い。しかし長い時間をかけて、自己肯定感をすこしずつ蝕んでいく。その対象が子どもであれば、私たち大人は何の罪もない子どもに大きな負債を背負わせることになる。それが先進国の〈相対的貧困〉だ。

森田明美
もりた・あけみ 東洋大学社会学部教授、東洋大学社会貢献センター長
子どもの権利を基盤にした児童福祉学を専門とする。数多くの自治体の子ども・子育て支援計画、次世代育成支援行動計画策定などにかかわり、東日本大震災をきっかけとした家庭環境や友人関係の変化が子どもたちの生活や心にどのような影響を与えているかについての現地での子ども参加型調査も行っている。

取材・文・写真(近影)/まなナビ編集室(土肥元子) 写真// fotolia

(初出 まななび  2017/12/05)

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