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「手術いやだな」の詩に詰まった子どもの気持ち【赤はな先生が病気の子どもから学んだこと#1】

東京都品川区にある昭和大学病院の最上階17階には、院内学級『さいかち学級』があります。病気やけがで入院してくる子どもたちのための小さな教室です。院内学級というと、長期入院の子どもを思い浮かべるかもしれませんが、同病院の小児医療センターの平均入院期間は10日間、その中で短ければ3日間ほど、子どもたちは登校しています。

12年前から同学級の担任を務め、現在はアドバイザーの、昭和大学大学院保健医療学研究科准教授の副島賢和さん(51歳)に、院内学級にやってくる子どもたちについて、そして親の悩みについて聞いてみました

院内学級は唯一、病気の子どもが「子ども」に戻れる場所

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子どもたち手製の工作物が並ぶ『さいかち学級』の廊下に「手術いやだなあ」という1篇の詩が貼られていました。

手術いやだなあ

頭切るっていうし。髪の毛そるっていうし。

退院まではえないかもしれないし。

 

手術を考えると体がムズムズする。

手術を考えるとねむれない。

できる事ならやめたい。

 

手術が終わったらドッチボールやりたい。

終わったらステーキとおすしを食べたい。

いっぱいテレビをみたい。

早く終わるといいな。

延べ1,500人の院内学級の子どもたちと関わってきた副島先生(写真)は、次のように言います。

「この詩を書いた子は、いつもは元気なのに、とぼとぼとやってきました。どこか不安そうで、なかなか言葉を発しません。こちらは手術をするというのが分かっているので聞いたのです。“何が心配なの?”。

“だって頭切るっていうし、髪の毛もそるっていうし”と話し出したんです。

大人は、髪の毛なんて、命に比べたら大したことないよ、と言うでしょうけれど、子どもにとって髪が生えてこないかもしれないことは、いちばんの恐怖なんですね。

そこでいろいろ聞きだして、それをメモし、あとで(子どもが)詩にまとめたのです。

教室にやってきた子に、最初から、詩を書きなさい、などとは言いません。子どもたちは、手術が嫌だ、病気になったのは悲しい、怖いといったさまざまな不快な感情を持っています。それを会話から見つけて、気持ちをほぐします。病気に向き合えるエネルギーを溜めるための場所が院内学級だと僕は思うのです」

病院内で教育を受けたほうが、病気の予後がいいという見方も

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『さいかち学級』は、品川区立清水台小学校に併設されている、病弱身体虚弱児特別支援学級です。地域に植えられていたさいかちの木にちなんで、こう名づけられました。

教育上、特別な支援が必要な子どもたちが通う特別支援学級は全国で約1,000。そのうち病院内にある院内学級は、200ほどです。東京都には小学校で5校、中学校で1つしかありません。

文部科学省は、今後、院内学級を増やすようにと通達しています。というのも病院内で教育を受けたほうが、子どもたちの病気の予後がいいと、医療者たちが気づき始め院内学級を推進していこうと考えたからです。院内でも教育を受けさせたい教育者と、退院が早まるなど良い影響を求める医療者の熱意が実を結びつつあります。

一方で、東京都はこれ以上は設置しない方針といいます。

病気がきっかけで不登校になったというケースも少なくない

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「医療技術が進み子どもたちの入院期間が短くなってきています。厚生労働省は、長期の入院よりも、家に戻って生活の中で治療していくという方針を掲げています。そうなると治療をしながらの教育は外せません。

短期間の入院ですむ虫垂炎や肺炎など急性期の病気や怪我はもちろんですが、白血病の子どもは、抗がん剤投与の治療サイクルの中で生活しています。1回の入院は短いけれど、1年に何度も出会う子どももいます。

不登校になった子どもたちのアンケートを見ていると、病気がきっかけで不登校になったというケースが全体の12~13%もありました。校内のトラブルで不登校になった子には、学校に出てくるように促しますが、病気の子には、良くなったらおいで、と言うだけでした。

病気になって不快な感情で蓋をした子どもの心を開き、通っていた学校にすんなりと復学できるようにすることは大事なことなのです」

子どもが院内学級にやってきた初日の午前中。副島先生は、その子と短い時間内で信頼関係を築くようにしています。子どもたちにとって院内学級は「安全、安心できる場所」であることが第一です。初対面で、短時間でどう信頼関係を築くのか、大変な作業ですが、子どもたちに「このおじさんは、キミたちのこと絶対に傷つけないよ」、そう思ってもらうことが第一歩なのだといいます。

「僕はプロの教師ですから」

教師歴30年の副島先生の自信がのぞきました。

児童と一緒に走れなければ教師じゃない⁉ 赤はなの先生が生まれたきっかけ

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ポケットから、ひょいと赤い鼻を取り出して、クラウンに変身した副島先生。ホスピタルクラウンといって、病院の中で心のケアをするクラウンとしても活動しています。先生は、日本テレビ『赤鼻のセンセイ』のモデルになったことでも知られています。

副島先生が、院内学級の教師へと導かれたのには、理由がありました。大学を卒業し、念願の小学校教師をしていた29歳のとき、肺に膿がたまる病気にかかってしまったのです。5年間で入院は3回にものぼりました。

「子どもたちと共に、とにかく一緒に走り回っていた熱血教師でした(笑い)。担任するクラスの子どもたちと銭湯に行ったり、学校の外でも一緒に遊ぶことしかしませんでした。

それが突然の病気です。しかも退院後に復職したら、子どもと走ると息が上がってしまい、走れない。自信も失って、転職しようかとまで考えました」

あるとき転機が訪れました。長い間、病院から出られない少年と出会ったことでした。

病院の中にいるのは、不幸せで、病院の外にいるのが幸せなのか。それならば少年はずっと不幸なままなのか……。

それならば病院の中にいても幸せだと思えるにはどうしたらいいのだろうか。副島先生はひとつの課題を与えられた気がしたと言います。

さらに、これからの教師には心理学も必要だと感じ、教員の派遣制度を利用し、東京学芸大学大学院で「不登校」をテーマに児童心理学を専攻。そののち、院内学級への異動を希望しました。

ところが、都内の院内学級への採用はごくわずか。希望はなかなかかないませんでした。

「講演を聴いて感動して、クラウンの勉強を始めました」

ホスピタルクラウンのパッチ・アダムスを描いた映画『パッチ・アダムス トゥルーストーリー』。医師であり、笑いで病院にいる子どもたちの心をなごませるクラウンの物語です。副島先生は日本国内でワークショップに通い、クラウンを学び、実際にパッチ・アダムスが来日した際には会いに行ったといいます。

「講演を聴いて感動して、すぐに赤鼻を買って、子どもたちの前でつけて見せました。小学校5年生の女子たちは“そえじ(副島先生の愛称)、きもい!”。不評でしたね(笑い)。それでもパッチが医師でクラウンなら、僕は教師でクラウンになろうと思いました」

 

2006年、晴れて『さいかち学級』に異動が決まりました。しかし副島先生を待っていたのは、厳しい現実だったのです。


【取材協力】

副島賢和(そえじままさかず)

1966年、福岡県生まれ。都留文科大学卒業後、東京都の公立小学校の教師に。2001年、東京学芸大学大学院修了。2006年より、『さいかち学級』の担任。14年から現職として『さいかち学級』のアドバイザーを務めている。著書に『あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ ぼくが院内学級の教師として学んだこと』『心が元気になる学校』。

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